牧師室だより(2016年7月)

 6月に、私たちは主に愛する姉妹である、Nさんを天の神のみもとにお送りしました。残されたご家族の皆さまの上に、主キリストの慰めを心よりお祈りいたします。

 

 私たちは将来、天の御国に迎え入れられるとき、すべての聖徒たちと共に神の前に立ち、神を礼拝することになります。私たちの地上での生涯は、神の前に礼拝者として立つ日に向けて、神を礼拝する者にふさわしい姿に整えられていくための歩みであるともいえます。今回、私は、Nさんの葬儀の司式をする中で、このことを強く実感させられました。

 

 たとえキリスト教式の葬儀であったとしても、すべての方が、キリスト教に馴染みがあるわけではありません。しかし、驚くべき神の恵みの業によって、葬儀における一つ一つの出来事を通じて、出席者が神を礼拝する者へと少しずつ変えられていく姿を見ました。賛美の歌声が少しずつ大きくなり、祈りの後の「アーメン」が徐々に聞こえるようになってきたのです。それは、ひとりの人を通じてなされた、神の栄光の業に他なりません。

 

 私たちの人生のゴールは「死」ではありません。主キリストにあって復活の命を私たちは与えられています。神の恵みの業によって、復活の朝を迎える日を待ち望みながら、天の御国を目指して、私たちは地上での歩みを続けて行きましょう。

 

牧師 稲葉基嗣