「万事を益とする神」
聖書 ローマの信徒への手紙 8:28-29、創世記 1:26-28
2017年 5月 21日 礼拝、小岩教会
説教者 平原知之 宣教師
《説教要旨》
一人の人生に望みを失いかけた青年が信仰を持ちましたが、殺人事件に巻き込まれ投獄されてしまいます。しかし、この悲劇を通して、その方の兄弟姉妹に福音の扉が開けられ、信仰が芽生え、その家族、親類、友人達にも福音が伝えられて行った事があります。
ロマ書8:28には「神がすべてのことを働かせて益として下さる」とあります。私達の日々の生活の中で我々が避けて通れない不正、矛盾、誤解、不平等などを体験していく中でも、主はそれらを御心に添って益となしてくださります。しかしこの28節は29節と切り離さずに解釈していかなければなりません。それは「神がすべてのことを働かせて益として下さる」のは29節の「我々を更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定められた」と続くからです。これは「神が万事を働かせて益として下さる」のは「我々をキリストの信仰に導き、さらにキリストに似る者とするがためである」という事です。ただ「キリストに似る者になる」とはキリストの喜び、平安、柔和という様なものを受けるだけではなく、キリストが示された十字架の死に至るまでの従順、服従をも共有するという事を意味するのです。
神は罪あるこの世界の中にあって信仰を持って神に従っていく者にはすべてを働かせて益として下さります。そして神が私達の益として定めて下さっている事とは私達を「御前で聖なる汚れのない者として整えて下さる」(エペソ1:4) 事なのではないでしょうか。