「だから、想い起こせ」
聖書 申命記 4:32−40、ヘブライ人への手紙 2:1−4
2019年 1月 27日 小岩教会、礼拝
説教者 稲葉基嗣牧師
私たちはいつも、大切なことを忘れてしまう危険と隣り合わせでいます。
重要な書類の提出締切、試験の中で問いかけられる言葉の意味、
大切な人との待ち合わせ、パスワードや暗証番号に至るまで、
私たちにとって忘れてはいけないことは、数多く存在します。
もちろん、忘れたいことも数多くあります。
それでも、忘れてはいけないことを、忘れてしまうことは、
出来る限り避けるべきことなのは、
誰にとっても当然のことと言えるでしょう。
今日、神は、ヘブライ人への手紙の著者を通して、
「だから、わたしたちは聞いたことに
いっそう注意を払わねばなりません。
そうでないと、押し流されてしまいます」(ヘブライ 2:1)
と私たち一人ひとりに語りかけています。
この手紙の著者がこのように語るのは、
明らかに、私たちが大切なことを忘れてしまうことがあるからです。
ここで「注意を払う」と訳されている言葉は、
「耳を傾ける」という意味をもつ、ギリシア語が用いられています。
つまり、私たちは大切なことを忘れてしまうと同時に、
そもそもその大切なことを私たちに告げる言葉を聞かずに、
「聞き流してしまう」危険だってあるのです。
ところで、著者がこのとき、
この手紙を送った人々に注意を払ってほしいと、
しっかりと耳を傾けてほしいと、
切実に願ったこととは、一体どのようなことだったのでしょうか。
著者は、このように語っています。
この救いは、主が最初に語られ、
それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、
更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、
聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。
(ヘブライ 2:3−4)
著者が忘れてはいけないと切実に語っていることとは、
一言で言うならば、「救い」です。
著者は救いについて、主が、つまりイエス・キリストが
「最初に語られ」と語っていますが、
それは単に、イエスさまを通して伝えられたことだけを意味しません。
イエスさまは、神が私たちを救ってくださるという
神の恵みを語っただけではありませんでした。
神は、イエスさまを通して、
すべての人を救いへと導く計画を実行されました。
ですから、イエスさまの人格や行動、
イエスさまの全生涯を通して、神の救いが宣言されたのです。
特に、イエスさまの十字架上での死と復活を通して、
すべての人に、神の救いが明らかになりました。
あなたの罪をすべて赦すために、
イエスさまは十字架にかけて死にました。
あなたのために命をかけるほどに、神はあなたを愛しているのです。
また、死者の中からイエスさまがよみがえり、
死に対する勝利がイエスさまを通して宣言されました。
この出来事を通して、神がイエスさまを復活させたように、
将来必ず、すべての者を復活させてくださることが明らかになりました。
まさに、イエスさまの言葉だけでなく、イエスさまを通して、
私たちの救いは実現したのです。
このように、神はイエスさまを通して、私たちを救ってくださいました。
でも、私たちはあまりにも簡単に
救われているという事実を忘れてしまいます。
だから、注意を払わなければならないと、
著者はこの手紙を読むすべての者たちに警告しているのです。
著者は続けてこう言います。
「そうでないと、押し流されてしまいます」(ヘブライ 2:1)。
神が与えてくださっている救いの現実を
しっかりと心に留めていないと、
今、あなた方を取り囲んでいる現実に、簡単に押し流されてしまう。
イエスさまを通して与えられている救いの現実など忘れ去ってしまう。
神の恵みや、神が与えてくださっている将来の希望など、
簡単にあなた方の手からこぼれ落ちてしまう。
それほど、あなた方を取り囲む現実は、
驚異的な力を持ち、あなた方に大きな影響を与えていると、
著者は真剣に伝えているのです。
この手紙を受け取り、神の言葉を取り次ぐ説教として、
この手紙を読んだ人たちは、ユダヤ人のキリスト教徒でした。
おそらく、この手紙が書かれたのは、
紀元後80年から90年頃です。
この手紙が記される10年から20年ほど前に、
すべてのユダヤ人にとって、重要な意味をもっていた、
エルサレムの神殿がローマ軍の手によって破壊されました。
ユダヤ人にとって、神殿は、信仰の拠り所であり、生活の中心でした。
そして、神を礼拝することの出来る唯一の聖なる場所が、
ユダヤ人にとっての神殿でした。
また、キリストを信じるユダヤ人にとって、
神殿は、この地上におけるキリスト教会の中心でした。
そのような神殿を彼らは失ってしまったのです。
将来の希望も、信仰者として生きる喜びも、そして神への賛美さえも、
ヘブライ人への手紙を読んだ人々は、失っていました。
このように、信仰の拠り所である神殿を失い、
希望を失い、悲しみ、落胆していた人々に向かって、
著者は警告と励ましの言葉を語りかけたのです。
だから、わたしたちは聞いたことに
いっそう注意を払わねばなりません。
そうでないと、押し流されてしまいます。(ヘブライ 2:1)
聞いたことをしっかりと思い出しなさい。
イエス・キリストについて聞いたことを
しっかりと想い起こしなさい。
地上にある限り、神殿はいつかは滅び去る。
しかし、決して滅びない、永遠の神である方を想い起こしなさい。
神の子であるイエス・キリストを通して、
あなた方の救いが実現したことを想い起こしなさい。
神殿は崩れ去ってしまった。
確かに、それは、嘆くべきことだ。
けれども、あなた方には大きな希望がある。
あなた方は、イエス・キリストを通して、
確かな救いを与えられている。
そのことをしっかりと想い起こしなさい。
そうでないと、悲しみや失望に押し流されてしまう。
悲しむことは悪いことではない。
でも、救いと将来の希望がキリストによって与えられているのに、
悲しみに囚われ、希望がないかのように振る舞ってはいけない。
あなた方は、イエス・キリストによって救われているんだ。
そのことをしっかりと想い起こしなさい。
私が語る言葉に耳を傾けなさい。
私が今、あなた方に語る、神の救いの業に、
しっかりと注意を向けなさい。
著者は、神殿を失って失望する読者に、
神によって与えられている救いの業を想い起こすようにと、
語りかけているのです。
神の救いの業を想い起すこと。
それは、イスラエルの民が絶えず行い続けてきたことです。
神がこの世界を造られ、この世界のすべての被造物を愛されたこと。
数多くの民族の中から、自分たちを神が選び出し、愛されたこと。
奴隷として暮らしていたエジプトの国から、救い出され、
約束の地を与えられたこと。
自分たちが神を何度裏切ろうとも、
神は諦めずに、愛し続けてくださったことを、
イスラエルの民はいつも想い起こし続けました。
それは、過去の良い思い出に浸るためではありません。
神がかつて救いの手を伸ばしてくださったように、
将来、必ず救いの手を伸ばしてくださることを知って、
現実の苦しみを乗り越えて、未来に希望を抱くために、
彼らは神の救いの業を想い起こし続けたのです。
現実の苦しみや悲しみに、困難や悩みに押し流されないために、
イスラエルの民は、神の恵みを想い起こし続けたのです。
同じように、キリスト教会はいつも、
イエス・キリストを通して実現した神の救いの業を
想い起こし続けてきました。
礼拝やそこで語られる説教、
そしてパンを裂き、杯から飲むことを通して、
イエスさまによって罪を赦され、
復活の希望が与えられていることを
私たちはいつも想い起こしています。
それは、神が約束してくださっている未来を
私たちがしっかりと見つめるためです。
私たちを取り囲む現実に、私たちが押し流されて、
神の恵みや救いの希望を忘れてしまわないためです。
ですから、私たちはいつも、イエスさまが語られた言葉を
共に想い起こし続けましょう。
イエスさまを通して、神が私たちのために行ってくださった
ひとつひとつの業を想い起こし続けましょう。
神が約束してくださる将来に希望を抱き続けるために。
そして、天の御国を見つめ続けて、
この地上での信仰の旅路を最後まで歩み抜くために。