· 

「飼い葉おけの中の王」

 救い主の誕生を知った人間たちの内、マリアやヨセフ、それにザカリヤたち
イエスの地上での親族の他では、羊飼いたちと東の国の博士たちが最も早かった、ということは聖書でわかります。
イエスに会うために移動する距離や時間を考えると、博士たちが一番でしょう。、知らせを受けてすぐ、会いに行った人として、羊飼いたちが救い主発見の一番乗りとして知られています。
 イエス・キリストが実際にはどの季節に生まれたのか、判る資料はありません。
ですから、現代祝われているクリスマスの時期に合わせて、
「寒い冬の日に、野原で羊の番をしていた・・・」という物語には少し、
違いがあるのかもしれません。
でも、羊飼いたちが野宿をしながら夜通し羊の番をしていたことは、事実です。
 牧畜業を営む方から、農業従事者の中で自分たちは、現代でも休みを取ることが難しいのだとお話を聞いたことがあります。
植物を育てる場合は、植える時期、収穫の時期など季節によって、育つまでは特に作業が無い、または人手がかからない場合もあります。
でも、羊も牛も豚も、生き物の世話には休みはありません。動物としては人間も、
世話に休みがないところで、共感できるかもしれません。
 羊飼いたちが育て、守っていた羊たちは基本的に神殿で捧げられる生贄用でした。神に捧げるため、羊の体にシミも傷も、つけることがないよう、羊飼いたちはよく、気を付けていました。狼などの野獣の餌食になることはもちろん、
ケガをすることも無いよう大切に扱っていました。
 羊の世話をするため、彼らは神殿で礼拝することができません。
神殿に羊を連れてゆくのは、生贄用の羊を納める時だけ。
礼拝のためだけに群を離れることはできないのです。
律法に定められた礼拝を守ることができない。彼らは職業上、律法を守れないことで、宗教的には低いもの、正しくないものとされ、差別されていました。
神殿のため、人々のため必要な働きが、彼らを礼拝から遠ざけていたのです。
 羊飼いたちが羊を守ることには、もう一つ、重要な意味がありました。
羊たちは捧げものとして用いられるだけでなく、その皮は
羊皮紙として重要な役割をしていたのです。
人類が歴史の中で記録のために使ってきた紙の中でも、羊皮紙はとても高級な紙でした。現代の私たちは、植物の繊維からとった繊維で、紙を作り色々なことに使っています。植物から紙、というと、葦の1種であるパピルスを割き、並べて作る紙が有名です。現代の紙はパピルスよりも繊維を細かく砕いて使います。砕いた繊維を薬品に溶かして、薄くならべて、安く、早く作ることができます。色についても印刷がしやすいよう、工夫されています。
ですが、現代の紙は、保存が利きません。数十年前の紙は、保存方法にもよりますが、どんどん劣化が進み、書かれた情報は読めなくなり、消えてゆきます。
空気に触れるだけで、現代の紙の繊維は次第に弱り、ばらばらになって行きます。
植物を使う紙以外に、獣の皮を限界まで伸ばして作る獣皮紙が、古くから用いられてきました。皮から作る紙は、保存が利きます。1000年前の文書が発掘されても読むことができます。有名な死海文書なども、羊皮紙に書かれていました。
羊から作る羊皮紙は、獣皮紙の中でも子牛の皮からつくる紙に次いで、たいへん高級です。獣皮紙にはどうしても、動物の毛穴があるものですが、羊皮紙は毛穴がほとんど目立ちません。旧約聖書に用いられたヘブライ語は、点の位置や文字の角の位置などで意味や読み方が変わってしまうことが知られています。
聖書に、「律法の一点一画も失われることは無い」という表現がありますが、
これはヘブライ語の文字の特徴が現れた言い方です。
紙にある、動物の毛穴などの存在で、御言葉が変わってしまう危険もあるため、毛穴の目立たない羊皮紙は、聖書にも、また国の公文書の記録にも、
用いられたのです。
 羊に、シミも傷もつけることはできません。聖書を正しく書き写すことができなくなります。新しく聖書が必要になると、創世記には羊が何匹必要、詩編には何匹、と、聖書を手に入れるためには羊の群れが必要でした。
羊飼いたちは、そのために羊を守り、育てていたのです。
 羊飼いたちが捜しあてた救い主が、神の子であり、罪も汚れも無い方として、
シミも傷もない羊に譬えられることはことは、とても意味深いものです。
羊たちを護り、ひいては神の言葉が正確に記録されるための働きをしていた
羊飼いたちが、聖なる神の子羊であるイエス・キリストに出会ったのです。
 羊飼いたちはイエスを探すため、天使からキーワードを与えられていました。乳飲み子が布にくるまれ飼い葉おけに眠っている。
乳飲み子と飼い葉おけ。いつの時代も、できればこの二つの単語が同じ場所を示す状況は避けたいと思うのは、子どもの親ならば当然でしょう。
けれどマリアもヨセフも、宿をみつけることができなかった、と、書いてあります。マリアが臨月だったことも、宿泊先が家畜小屋になった理由と言えるかもしれません。レビ記12章に産婦が出産した後、子が男子ならば7日間、女子ならば14日間、出血の汚れが清まるまで家に留まるよう書かれています。
産婦を泊まらせてしまうと、その部屋は10日間前後、使うことができません。
家畜小屋にマリアを案内したのは、ひとつには、この清めの期間を夫婦と宿がどう扱うか、という問題の解決だったとも考えられます。
 近年になって、イエスが誕生した場所について、
考古学者からの話を神学校時代、教授から聞く機会がありました。
 飼い葉おけなのです。イエスのゆりかごは。生まれたての乳飲み子を、飼い葉おけに寝かすしかない。沢山のダビデ家の関係者が集う町。
羊飼いたちはキーワードをつぶやきながら、ベツレヘム中を探しました。
考古学者たちは、当時の家のつくりは、家畜を繋ぐ場所を床下に造り、
その上に人が居る構造になっていた、と言います。
現代の私たちも、ガレージに車を止め、家に入りますが、
当時の家畜のいた場所は、家畜の体温もあって暖かい場所だったようです。
家の床下に、家畜を繋ぎ、家畜の居場所がほのかな床暖房のような役割も持つ。
暖かい、けれども低い場所。
マリアたちはそこで、イエス・キリストを飼い葉おけに寝かしつけたのです。
 イエスは人として、最も弱い赤ん坊としてこの世に生まれ、ゆりかごに飼い葉おけを使う。泊まる家の中で、最も低い場所に、家畜と共に、
その家にいる人を暖める場所に居られました。
 きょう、読んでいただいた詩編に、幼子の事が預言されています。
ダビデの子 ダビデの家系に生まれた方を、油を注ぎ王にした、と
書いてあります。救い主と日本語に訳されている、メシアという言葉は、
「油注がれた者」という意味です。
主イエスは、父なる神の事を人々に語る時も、わたしの父、わたしの神、と呼びまた祈る時も、詩編89篇27節のように、父よ、と呼びかけておられました。
 イエスの十字架の救いを受け、赦されて、私たちは、神の家族に迎え入れられます。神の子、神を父と呼ぶ方は、神の言であり天地創造から神と共に居られました。神の家族で長子。イエスは神の1番目の子ども、私たちは家族として、
イエスを兄と呼ぶことを赦された者です。
羊飼いたちは天使の言葉に導かれて、神の子に会いました。
彼らは、喜びの知らせを人々に知らせ、マリアにも天使の言葉は伝わりました。
私たちは、この知らせを聖書から学びます。救い主によって、私たち人が神とどのような関係に導かれたのか。救い主がどのように地上に生まれ、人々にどのように この救いは伝えられたのか、聖書によって知ることができます。
羊たちを護り、育てていた羊飼いたちの働きによって、聖書は上質な紙に書かれ、長い時を隔ててもなお、神の言葉は人々に、神と人がどのような関係にあったのか、神のご計画がどのように人々に伝えられ、神のご意志はどのように現わされていったのか、私たちは聖書を通じて知ることができます。
 飼い葉おけの中に眠る、幼子イエスを探し当てた羊飼いたちは、
その忠実さ勤勉さによって真っ先に救い主と出会う喜びを与えられました。
 沢山の生贄の羊たちの皮は聖書となり、私たちに神の言葉を伝えます。
清い神の子は、罪も汚れもない神の子羊として、人々の罪や汚れを担うために、
世に降られました。羊たちは野原で育ち、羊飼いたちは羊たちを一晩中、シミも傷も受ける事が無いよう危険から護りました。その羊飼いたちが探し当てた方が、聖書に書かれたダビデの子、諸王の中の最も高い位にある王なのです。
飼い葉おけの中で、低きに降られた私たちの救い主の誕生を、祝い喜びましょう。
クリスマスおめでとうございます。お祈りいたします。