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「来て見なさい」

 幼いサムエルは、眠っている自分を呼ぶ声を聞いて、祭司エリのところへ
走って行きました。主なる神の神殿で寝泊まりしていたのはサムエル一人。
祭司エリは自分の部屋で寝ていました。サムエルは自分とエリ以外、誰もいないと思っていますし、いつも自分を呼ぶのはエリだから,
呼ばれるたびにすぐ、エリの部屋へ行きました。
この子が、神に呼ばれているのだとエリは気づきます。
指導役として、サムエルに神に向かう態度を教えた祭司エリは、前の章で、
神からの言葉を神の人から聞いています。
祭司として長年仕えてきたエリに、神は直接、語りかけませんでした。
エリに仕えていた小さなサムエルに、エリの受ける裁きについて知らせました。
 サムエルは神からの語りかけを、恐れたりいぶかることなく、エリから教わったように、「どうぞお話しください。僕は聞いております」と、まっすぐに受け止めました。
 きょうの新約聖書の箇所では、イエスに従った弟子たちの様子が書かれています。ヨハネによる福音書1章の35節から51節まで だいた4つのパターンで、彼らはイエスに従いました。
 最初に従ったのは、アンデレとヨハネです。
彼らは弟子になっていたバプテスマのヨハネの「見よ、神の小羊だ」という言葉を聞いてイエスに従いました。イエスに出会う時に、彼らの師匠が、紹介者になったのです。
彼らは「ラビ、どこに泊まっておられますか」「来て見なさい。そうすれば分る」という会話のまま、イエスについて行き、同じ場所に泊まり、
そのまま従いました。イエスと寝食を共にしながら、
イエスこそメシア救い主であるという信仰を持つようになったのです。
紹介者がいて、直接教えを受け、信じる。これが1つ目のパターンです。
 2つ目は、シモン・ペトロ。兄弟アンデレが「私たちはメシアに出会った」と
言うのを聞いて、アンデレにイエスの所に連れて行ってもらい、イエスに紹介されます。イエスは彼に、ペトロ。アラム語でケファというあだ名をつけました。
ギリシャ語のペトロもアラム語のケファも、石、岩、という意味です。
たぶん、イエス様のことですから、見かけの体格ではなく彼の性質からつけた名でしょう。
 3つ目のパターンは、イエスご自身が声をかけられました。
アンデレ・ペトロ・ヨセフの3人を連れて歩いていたイエスと、弟子たちと同じ町の出身のフィリポが出会い「わたしに従いなさい」と言われて従ったのです。
クリスチャンになるとき、フィリポのように直接、神様から呼び掛けられたら、確信を持って従えるのに、と、うらやましくなりませんか?
神からイエスから、直に選ばれて呼ばれる。
でも、旧約聖書のサムエルの時のように、神から語りかけられることは、
大きな意味と役割があります。なかなか、神と自分と二人だけで確信を持つ事は難しい。人間は自分の耳でさえも疑う、弱い者です。
ですから、サムエルにはエリが必要でした。
そしてフィリポにも、顔見知りのアンデレたちが居たことが、警戒心を起こさずにしたがって行ける、助けになったと思います。
 私が教会に通うようになったのは小学4年への進級目前の春休み、9歳の時でした。最初は、いつも一緒に遊んでいた友達が行っているところだ、というのが理由でした。私より2~3年前に、その教会に行くようになった中学生が居ました。彼は教会に知り合いが居たわけではなく、聖書にも興味はありませんでした。
ただ、彼は音楽が大好きで、特に古典的なクラシック音楽に夢中でした。
その頃でも、” バッハにはまる小学生”はかなり変わっていて、この趣味を話し合う友達はみつかりませんでした。中学の音楽教師に、クラシックは教会音楽が沢山あると聞いて、彼は単身、教会に乗り込みました。一人でやってきた中学生が、熱心にバッハについて2時間近くも語るのを、みんなが感心して聞いてくれたそうです。彼はそのまま教会に通い、教会学校の教師となり、今は私の先輩牧師です。彼が4パターンのどれかに該当するかはわかりません。
彼を教会へと向かわせたのは、信仰を持たない公立中学の音楽教師でした。
 イエスと出会った弟子たちの4つ目のパターンは、友人への伝道です。
フィリポが出会ったナタナエルは、わたしたちナザレン教団で自虐ともいわれる、よく用いられる名言を言った人です。
フィリポが「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」と、ナタナエルに言いました。これを聞いて、彼は驚き、
ぜひ会いたい!と思ってことでしょう。モーセと預言者。これは現代の私たちが「旧約聖書」と呼んでいる書物を指して言う言葉ですし、
イスラエル人にとって生活の基本となる書物です。
でも、その先にフィリポは「ナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と続けました。
イエス・キリスト誕生について、クリスマスに引用される旧約聖書には、
キリストがベツレヘムで生まれる、と、預言されています。
確かにイエスはユダヤの町ベツレヘムで生まれました。
生まれた後、ナザレに移り住んだのです。私たちはクリスマスとその後の事情を新約聖書で読めますから、そこに疑問はありません。
でも、旧約聖書をじっくり読み、研究してきた まじめなナタナエルは、
フィリポにあの言葉で答えました。
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」
もし、フィリポの信仰が弱いものだったなら、ナタナエルの言葉に驚いたかも
知れません。でも、フィリポはすでにイエスに出会い、イエスに従い、
イエスの言葉を聞き、共に生きてイエスから教えを受けています。
「来て見なさい」こう言った時、フィリポはどんな表情をしていたでしょう?
フィリポのこの言葉から、ナタナエルがイエスの前に立つまで、
聖書は1行もその途中を描いていません。
懐疑的な発言をした友を、フィリポはそれ以上 何も言わせず、
イエスの所に連れて行きました。
 フィリポがにこにこしていたか、まじめな顔をしていたか、
想像するのは楽しいものです。  ただ、言えるのは、
フィリポも、アンデレも、イエスの所に兄や友を連れてくるとき自信があっただろうということです。これはイエスをメシアであると信じた、
自分の判断力に自信があった、ということではありません。
自分が従ったイエスが、神の子である。メシアである。
聖書に書かれ預言された方である、ということへの自信です。確信です。
間違いない。この方がメシアだ。そう信じていたからこそ、
アンデレはペトロを連れて行ったのです。
フィリポはナタナエルに「来て見なさい」と言えたのです。
 そして、フォリポ自身、イエスに従っていたアンデレやペトロやヨハネの
様子を見て、イエスの呼びかけを受け止めることができたのです。
 バッハが大好きな先輩牧師は、すばらしい音楽、大好きな楽曲を信仰で理解し楽しむ人たちと出会い、彼の音楽の知識を、讃美歌を理解するための素晴らしい助けとして受け止めてくれた人たちと出会い、やがてキリストに出会いました。
 教会に私たちがいて、礼拝していて、この恵みを感謝して喜んでいる。
このこと そのものが、すでにイエスの福音を伝える力になります。
教会生活が生活習慣になることはとても良いこと。素晴らしいことです。
ただ、私自身、聖書を読むこと祈ることの理由が、
習慣だから に なってしまっていないか、ふと振り返り反省します。
私に、あの時のフィリポの眼にあったような輝きはあるだろうか。
フィリポの心に燃えていた、信仰の情熱はあるだろうか。
聖書を開くとき、イエスのもとに集まってきた弟子たちのような、わくわくした思いはあるだろうか。
 教会に来た始めは、胸を張って言えるような理由はない、と、思う人は多いと思います。身の回りにキリスト教を知る人が居ない場合、後に教会が生活の中にある暮らしをすることは、想定外だった、そんな思い出もあるでしょう。
4代目クリスチャンの友人は、自分は偽善者だったから、と、良い子を演じていた過去を笑って見せることもあります。
はじまりが、必ずしもあの4パターンのようにはならないものでしょう。
でも、自分はクリスチャンだ。そう言えるようになった時、みんなが大小、
様々なかたちで、「あの場所」を通り抜けた、と、思う経験を持っています。
それは、足元の水たまりを飛び越えるような または 崖から崖へ飛び移るような、またはふと、ドアを開けるような、そんな時期、そんな瞬間があったのではありませんか?
そして、その時、手を取って飛ばせてくれた、戸を指し示してくれた、
人、時、場所、言葉が有ったのではありませんか?
 「来て見なさい」Come and see 
どんなに素敵なものも、言葉で説明するだけ では伝わりません。
フィリポが短い言葉を発した時、彼を通して伝えられた喜びは、
ナタナエルをイエスの前に立たせました。
 主を喜ぶことは、あなたの力の源です。主の恵みは、聖書に書かれ、
さらに伝えられ、受け止めた人に力を与えます。
 「来て見なさい」Come and see 
サムエルのように「お話しください。僕は聞いております」と、聖書を開いてみましょう。今度は、私たちが言う時が来るでしょう。
 「来て見なさい」Come and see  と。
お祈りいたします。