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「葬りの油」

イエスがベタニア村を訪れたのは、エルサレム入城の前日でした。
ロバの子に乗ってエルサレムに入って行ったイエスは、人々から
「主の御名によって来られたイスラエルの王」として喜びをもって迎えられました。その日は人々が喜んで棕櫚の葉を振って迎えた、ということから、
棕櫚の主日と呼ばれています。今年の暦では、4月5日の日曜日がその日です。
今年のイースターは4月12日。棕櫚の主日は、イースターの1週間前です。
 ベタニア村では、イエスが来られるというので、人々は夕食を用意してイエスと弟子たちをもてなしました。
この村では、少し前に大事件が起こっていました。死んで4日も経っていた人が生き返って、墓から出てきたのです。生き返った人は、イエスの友人ラザロ。
彼には姉と妹がいて、この日の夕食の給仕人の中に姉のマルタがいました。
ラザロは、イエスと一緒に食卓に着いています。そこが彼ら3兄妹の家か、
他の人の家だったかは書かれていません。イエスにラザロの妹マリアが
近づいて、持ってきた油をイエスの足に塗り、自分の髪で拭いました。
イエスのいた時代、人々は現代の日本人のように靴や靴下を履いてはいません。
サンダルに素足で歩いていました。道も地面むき出しで、埃だらけ。
家に入るにもそのまま。来客の足を洗うだけでなく、
足に油を塗り、その足を拭うことは、最高のもてなしでした。
 その時、家の中に 思いがけない良い香りがいっぱいになりました。
マリアがイエスの足に塗った油は、素晴らしい香りを持つナルドの香油でした。この香油は特に純粋で、弟子のユダが言ったように、マリアが持ってきた
1リトラ:326グラムほど入った石膏の壺を買うには、
300デナリオンほどは必要でした。1デナリオンは当時の1日分の賃金にあたります。まる1年働いて、まったく使わずに貯めた1年分の給料と、同じほどの値段の油がイエスの足に塗られたのです。イエスの足の埃を拭ったマリアの長い髪も、この香りでいっぱいになりました。
 家の中に居た人たちは、この香りの価値を知っていました。とても驚いたでしょうし、ユダの言葉を 尤もだと思った人も居たでしょう。
香油を持ち運ぶための石膏の小さな壺。
これは蓋も石膏で固めてあり、一度 開けると壺はもう使うことができません。
マルコによる福音書では、壺を壊して油をイエスに注いだ、と書いてあります。
開けた壺は壊れてしまうので、もう、売って施しに使うことはできません。
ルカによる福音書での、この姉と妹の様子を覚えておられますか?
イエスと弟子たちがラザロの家に立ち寄った時、彼らをもてなすために忙しく立ち働いていた姉のマルタは、イエスに「妹に私を手伝うように言って下さい」と、文句を言ったことが書かれています。
あのマルタならば、マリアに何も言わないのはおかしい。
彼ら兄妹にとって家の宝とも言える大切なナルドの香油を、
自分たち兄姉が知らないうちにマリアが持ち出したのなら、そして自分たちに何の断りもなくその香油をイエスに塗る、そんなことをしたのならば、
マルタが黙っているはずはない。あのラザロだって、静かにそこに座っているということは、無いと思います。あわてて立ち上がり、マリアのところへ飛んで来るくらいの行動があるほうが普通でしょう。
 マリアが捧げた、として知られているナルドの香油は、この兄妹の宝だったと同時に、この時にまだ、彼らがその香油を持っていたことには、一つの理由がありました。
マルタとマリアは、すでにその香油を使ってしまっているはずでした。
彼らの大切な兄ラザロは、一度死んで、墓に葬られました。
彼が死んで4日目にイエスが来られた時、マルタもマリアも、イエスが居たら、兄は死ななかったでしょう、と言って泣きました。
姉妹は、イエスが来て下さったら、イエスと共に、葬られた兄の遺体に香油を
塗って、兄の葬りを行うつもりで居たのではないでしょうか。
しかし、イエスはラザロを死から生へと呼び戻され、彼らの兄はいま、
彼らと共にイエスの夕食の席についています。
ラザロもマルタもマリアも、あの日の喜びと感謝をぜひ、
イエスに伝えることを願っていた、と思います。
ラザロが生き返ったあと、そのチャンスがやってきた。
イエスへナルドの香油を注いだマリアは、3兄妹の感謝と信仰を伝えるために、
彼らの宝物の小さな壺を持って、イエスに近づいて行ったのです。
 さて、きょうの旧約聖書は初代イスラエル王サウルが、サムエルによって油を注がれた箇所です。サムエルは預言者であり、祭司であり、最後の士師として
イスラエルを治めた人です。
サムエルを指導した祭司エリの子である祭司たちは、祭司でありながら職権を
乱用し、彼らを民は信頼していませんでした。
また、サムエルの息子たちは祭司でしたが、エリの息子たちのような行動をとり、民は周辺の国のように、王が居て民を治める政治形態を求めました。
祭司を国の指導者とするイスラエルの治め方よりも、王が居て治める方が良い、と、イスラエル人は考えました。サムエルは、イスラエルが神の民ならば、神を真の王として神に従うべき、と、考えました。
けれども神はサムエルに、神の示す人を王に選べ、と命じられました。
祭司によって油を注がれた者が、神から王として選ばれ立てられた者として
任命される。イスラエルの王の任職のシステムが確立しました。
油を注いで王を任命する儀式から、イスラエルの王は「油注がれた者」と呼ばれます。この「油注がれた者」がメシアでありギリシア語でいうキリストです。
神から任命された王、という意味で使われた言葉でした。
神の御心に適う王、神の御心のままに正しく人間を治める真の王、という意味がこの言葉の意味として加わっていき、やがて
メシア、キリスト とは、真の王であり神から遣わされる救い主、という意味になっていったのです。
油を注ぐ事は、ユダヤ人にとって「任命」「任職」を意味しました。
マリアがイエスにナルドの香油を注いだ次の日、イエスはエルサレムに子ロバに乗って入城しました。旧約聖書ゼカリヤ書9章9節に書かれている預言の通りの姿で、人々から棕櫚の葉を振って、「イスラエルの王が来られた」と歓迎されました。そしてイエスは、弟子たちの足を洗い、最後の晩餐の席につき、
ゲッセマネの園で祈り、大祭司の関係者に逮捕され、
大祭司や総督ピラトによる尋問を受け、兵士たちに鞭打たれ、
十字架につけられました。
ゲッセマネで祈る間も、大祭司の屋敷の中でも、十字架に架かってからも、
イエスの足からはナルドが薫り続けました。
イエスと共に全人類の罪が滅ぼされたゴルゴタの丘で、マリアがイエスの足に塗った、3兄妹の信仰と感謝の捧げものはその香りを放ち続けました。
香りと共に、イエスは改めて、人類の真の王として、救い主として、
神から与えられた役割を果たすため、罪の贖いと赦しの御業を完成させる働きを、イエスは成し遂げて下さいました。
イエスの苦しみの中で、神はマリアがイエスに注ぎかけた香油を、任職の油としても用いられました。
 あの夕食の席で、マリアもマルタもラザロも、何も言葉を残していません。
彼らがイエスに会うことのできた最後のチャンスに、彼らの持つ最高のものを惜しまず捧げた、その信仰を、イエスは受け止めて下さいました。
イエスの葬りのための油として、ナルドは用いられました。
イエスの受難の道で、その香りに気づく人はいなかったかもしれません。
3兄妹の真心を受け止めたイエスは、私たち一人一人が持つ信仰を受け止めていて下さいます。
ささやかで弱い私たちの信仰を福音の香りとして用いて下さる救い主は、
私たちの毎日の暮らしを、救いと愛の香りで癒し、力づけて下さいます。
マリアもマルタも、ラザロも、ごく個人的な家庭内の出来事の感謝の気持ちを
イエスに捧げました。
他人にとっては、家族の病気も、体の痛みも、仕事の苦労も、事件でも問題でも無いかもしれません。自分自身にとっての大事件、大変な苦労をいちばん理解していて下さるのは、私たちの中にまで聖霊をおくり、共に悩み苦しんで下さる方、
私たちの弱さ不完全さを赦して受け入れて下さるイエス・キリストだけです。
私たちの祈りを聞き、共に居て下さる方は、私たちの信仰をナルドのように、
良い香り素晴らしい薫りとして受け止めていて下さいます。
 私の信仰が薫るなんて、そんな素晴らしいものではありません。と、思いますか?用いて下さるのは、主なる神です。主と私たちが信仰によって繋がり、恵みと愛をいただく関係にある時、主はその繋がりを薫り高い魅力に変えて下さいます。いつも主にあって、喜び、感謝しましょう。祈りの内に静かにイエスに近づきましょう。心の壺を割って、主イエスに受け止めていただきましょう。
お祈りいたします。