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「愛して受け入れる掟」


  私は親族の中で、たった一人のクリスチャンでした。
5~6年前に両親も洗礼を受けましたが、信仰についてイエス・キリストについて、
彼らは長い間、自分には関係ないものと考えていました。私が中学2年で洗礼を
受けてから、この子は日曜日には居ないのだ。いっしょに旅行しても、神社やお寺で手を合わせないのだ、と、両親も弟も理解するようになり、親戚も次第に私の
生活リズムや考え方を知るようになっていきました。
私自身、イエス・キリストを救い主として信じること、教会のメンバーになるとはどんなことなのか、最初からわかっていたわけではありません。
洗礼を受けたその日から、いま自分は嘘をついていないか。一緒にいる人たちに、クリスチャンらしく優しくできただろうか?と、自分を振り返り続け、反省し続け自分を責め続けました。もっともっと神様を イエス様を知るために、
祈りによって助けていただく、ということが初めは解っていませんでした。
まちがいや失敗から守っていただくために、生きるための力そのものを頂くために、神に祈って求めて良いのだ、と知るまでに時間がかかりました。
自分がいま、生かされ守られ恵みを頂いていることに感謝できるようになったのは、さらに後の事です。
 イエスはきょうの14章16節で、父なる神が別の弁護者を遣わす、と言われました。イエスご自身が十字架に架かり死ぬことで、私たち人間を救う業を
行う事を決心された上で、言われた約束でした。
イエスは、ご自身を通してでなければ父なる神に近づくことはできない、と言っておられます。イエス自身が、私たちを神に近づけるための助け主であられるのです。
別に送って下さる助け主、弁護者として、神の霊、聖霊をお送り下さる、と約束されたのです。イエスが父なる神に願って遣わされた聖霊について。
きょう、聖霊が降られたことを聖霊降臨祭 ペンテコステで祝う、その意味を知るために、まず、聖書に書かれた言葉の意味から考えてみましょう。
 イエスは、ご自身と私たちについて、こう言われました。
父なる神は別の弁護者が永遠にあなたがたと一緒にいるようにする。
弁護者という言葉は、ギリシア語でパラクレートスといいます。
この言葉には、6つの訳し方があります。
① 弁護者。これは裁判の席で裁かれる人を援ける、弁護士のことです。
私たち人間が罪ある者として神の前に出る時、聖霊は私たちを弁護して下さる。
② 代弁者。誰かの代わりに話す人。
私たち人間は、神に直接話すことができません。私たちの言葉を神に届けるため、聖霊は代わりに話して下さるのです。
③ 傍らに呼ばれた者。
いま、コロナのことで私たちはお互いの距離をとって会い、話します。傍ら、と言っても何か遠いですね。
聖霊は。物理的な居場所だけでなく、心の在り様として傍らに居る方です。
④ 慰めを与える者、という意味もあります。
 洗礼を受けたばかりの頃、自分がクリスチャンと名乗るにはふさわしくない、
という自覚が出てきて、自覚された自分の罪に、辛さを味わいました。
あの時、一緒にいて、助け励まして下さったのは聖霊だったのです。十字架に
よる罪の赦しを与えただけで放置しない、慰め主の存在に感謝しています。
⑤ パラクレートスには助け主、の意味もあります。
慰め、励まし、さらに助けて下さる方が私たちの所に遣わされているのです。
⑥  パラクレートスについて、今回、注目したいと思う6つ目は、
解釈者 という意味です。
2つめの代弁者でも言いましたが、私たち人間は神と直接話す事が出来ません。神の姿は、人間には隠されています。人間が神に近づくために、十字架による救いと共に、私たちに変わって話す代弁者だけでなく、
私たちが理解することができない、神の言葉を解釈し、私たちに伝えて下さる方が必要なのです。
私たちは、外国の人と話をするとき、言葉の壁を越えるために通訳を必要とします。最近は音声言語をAIを使って訳す道具も発売されていますね。
いま、礼拝中 皆さんの前で私が行っている手話も、
音で話す言葉を視覚で話す言葉に変換する体全体を使う言葉です。
人間同士でも、こうして間に立つ通訳者・変換作業は必要なことがあります。
私たちは聖書と言う文字情報で神の言葉を伝える書物も与えられています。
私たち一人一人に、神が語り掛ける言葉を私たちが知り、感じることができるように、神は聖霊を、ご自身と私たちの間の解釈者・通訳者としても用いられるのです。
 イエスは、わたしはあなたがたを みなしごにはしない、と言われました。
この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいる。
あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるのであなたがたも生きる。
あなたがたはわたしを愛する者、わたしの掟を守る。わたしの言葉を守る。
あなたがたが聞いている言葉は、わたしのことばではなく父の言葉である。
これは、神からの、父なる神とイエスからわたしたちへの、愛の言葉です。
この言葉で表された愛を受け止めるために、さきほど見た、弁護者の6つの意味、
特に最後の解釈者・通訳者としての聖霊が必要なのです。
 神が愛をもって、私たちに語り掛ける言葉を、解釈者は私たちが聞き取れるよう、
理解できるようにして下さいます。
傍らにいて、慰め、助けながら。
人が人の傍らにいる時、寄り添って隣にいることが最も近い位置になります。
聖霊なる神は、私たちの内に居て下さり、私たちの魂に寄り添って下さる。
私たちが心を開いて神に向うとき、最も近くで、私たちに内側から語り掛けて下さいます。神の言葉を、神の霊が語り掛けて下さる。
神の言葉は、人間の言葉とは違い語られたと同時に働かれます。
神は言葉によって天地万物を創造した方。神の言葉が語られ、私たちに届くと、
私たちは命と力を恵みとして与えられます。
 きょうの旧約聖書詩編104篇は、神の創造の業を讃える賛美の詩編です。
主なる神の創造の中に、神が創られたそのお働きの中にすべての造られたものはっ存在し、神の御手によって生かされています。
自然の全てのものは、私たち人間と違って生きていることに文句を言うことはありません。生きていたくないだの、辛い、苦しいと文句をいうことなく存在します。
被造物たちは神に望みを置き、満ち足りてそこに居る。神が彼らの息を引き取ると、彼らは死んで土に返る。
26節にレビヤタンという生き物が出てきます。これは旧約聖書に時々出てくる
伝説上の生きもので、海の中にいる大きな怪獣と考えられています。旧約聖書の時代、解明されていない地球上の不思議は伝説によって語られました。
「ねじれ」や「渦」を意味するこの生きものは、激しい海の潮の荒れる有様を
喩えて言ったのでしょう。人間には恐ろしい海の船をも飲み込む大嵐も、
戯れる生きもののように神の手の中にある、と、詩編104篇は賛美するのです。
 神が息を送って、すべての創造物を造り上げ、地の面を新たにされる、と
30節にあります。神の息は、神の霊と同じ言葉で書かれています。
神が、神の霊を送って地の面を新たに創り上げられる。
 聖霊降臨祭は、神が神の霊を地上に送られたことを記念して祝います。
神は聖霊を地上に送り、地を創造されます。
聖霊が地上に送られることで、私たちは神の創造の業を受けて造りかえられ、
新しくされます。聖霊を受けることは、神と共に居ること。神によって生きること。神によって十字架の主イエスが身代わりになることで手に入れて下さった、
神の家族としての命を受けることです。
神によって生かされた私たちは、神の言葉を聞くことができ、神の心を聖霊によって知ることができます。そして、神の霊である方が私たちの内に居て
神の言葉を伝えて下さるので、私たちは神と共に居て神と語る者、
神と対話する者になることができるのです。
 イエスは十字架と復活によって、私たちを神の愛を受け、神の掟を守る者として下さいました。イエスが約束し神から遣わされた慰め主・助け主は、
解釈者・通訳者として、私たちに神の言葉を伝えます。伝えられた神の言葉は、
私たちの信仰生活の中で神の業を行い続けます。私たちは神に祈れる者として、神に思いと願いを伝える者として、神を私たちの全存在をもって愛して神の掟を守る者、イエスの言葉を守る者として、再び創り上げられます。遣わされた方、
私たちの慰め主を讃美しましょう。ペンテコステおめでとうございます。           
お祈りいたします。