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「与えられた家 帰るべき家」

 きょう読んで頂いた旧約聖書エレミヤ書は、イエス・キリスト誕生の約600年前、
バビロニアとの戦いに負け、イスラエルの王族や政府の高官、そして技術者たちなどが捕囚となり、敵国バビロンで生きるようになったころの書物です。
イスラエルで、神の言葉を人々に伝えていた預言者たちは、ある者は捕囚の民と共に
バビロンに移動し、ある者はユダの地に残ってバビロンにいる人々に預言の言葉を書き送っていました。自分たちの神を礼拝してきた神殿や家、故郷の風景を懐かしみ、帰国を強く願っている人々と運命を共にしている預言者たちは、神からの言葉を待つよりも人々の苦しみに共感し、バビロンがもうじき滅びる、と、希望の言葉を語りました。
エレミヤはユダの地エルサレムから、あなたたちと一緒にいる預言者に惑わされるな、と書き送りました。神はあなたたちを放置して忘れ去るのではない。70年経ったら、
あなたたちの国、神が約束されあなたたちに与えた地に、神はあなたたちを連れ戻して下さる。70年の時が満ちたら、と神は言われました。現代日本の平均寿命で考えてしまうと、この時間の感覚を間違ってしまうと思います。
エレミヤの時代の70年は、この時代の人の平均的な寿命と同じほどの時間です。
神はエレミヤを通して、いま、捕囚になったあなたたちの世代は、故郷に帰ることはできない。このバビロンで生活し、生計を立て、やがて神が顧みて下さる時、故郷の地を踏む神の民をこの地で育てなさい、と、神はエレミヤを通して語られたのです。
 ギリシアやトルコのあたりで大きな地震があったというニュースを聞きました。
来年で、東日本大震災から10年となります。教会の隣に、新しく2軒の家が建ち、
教会の周りの風景が変わりました。今週 1軒はお引越しだそうです。良い交わりが
与えられるよう、願っています。私も、家族と住んでいた家を離れ、小岩教会に
引っ越して1年半になります。自分の家を建て、自分の生涯の終わりを過ごす家で、安心して生活したいと願うのは、現代の私たちも旧約の時代の人々も同じです。
突然の災害や事故によってそれまで安心して生活してきた家が、住むことも帰ることもできなくなる、ということを、私たちは経験しました。
将来の計画を立てる時、以前はマイホームを建てて住むことがゴールのように言われてきました。最近は老後のことも考えて、借家住まいを選ぶ人も増えているようです。
私の母もこの夏、介護施設で見送りました。
 捕囚となった敵国で、70年。バビロンは、預言よりも少し早くペルシャによって滅びます。イスラエルの人々は故郷への帰還を赦され、ペルシャの王はこの民が、破壊された神殿を再建することも許します。しかしイスラエル民族は帰国しても、
政治的、宗教的な安定を守ることはできませんでした。
 新約聖書でイエスが誕生した時、ユダヤ人たちは神から与えられた約束の地に住んでいます。自分たちの信じる、天地万物を創造された唯一の神を、自分たちの神殿で礼拝することができています。しかし自分たちの国は、ローマ帝国の支配下にあり、
人々はやがて現れる救い主によって、自分たちの国を自分たちの民族に取り戻す時を
待ち望んでいました。
 神はエレミヤを通して、民のための平和の計画を語られました。それは将来と希望を
与えるもの。心を尽くして神を求めるなら、神はあらゆる国々に追いやった神の民を、
元の場所へ連れ戻す、と言われました。人々は、自分の国に帰り、自分たちの先祖の土地に住んでも真の平安を得てはいませんでした。
 父なる神のもとを離れ、人の世に生れた神の子イエス・キリストは、旅先で、マリアとヨセフ、羊飼いたちのほかは祝う人もなく生れました。この方を、東の国の博士たちが礼拝しに来たことが書かれています。博士たちが居た東の国は、バビロニアの方角と考えられています。神の民が、自分の国から離れ捕囚となったところで守り続けた真の神への信仰が、その土地の人々に伝わっていたのです。
神の時を待って、その時 自分たちが置かれたバビロンの地で、家を建て家族を作り、
自分たちだけでなく、捕囚先の町の平安を祈った人々の祈りが、その土地に神を信じる人々を育てたのです。
 神はエレミヤを通してご自身を信じる神の民に、わたしを呼び、心を尽くして
わたしに祈り求めるなら、わたしに出合うであろう。と、言われました。
エレミヤが預言した平和の計画、将来と希望の計画は、神がイエスの祈りを聞き、その願いを聞き届けて下さることによって完成するのです。
イエスは十字架前夜、きょうの17章で、神がイエスの内に居られ、イエスが神の内に居る関係のように、イエスを信じる者たちとイエスが完全に1つになることを求めて、弟子たちの前で祈りました。
 イエスはこの祈りの後、祈るために行った園で捕らえられ、十字架に架かりました。
イエスは祈りの中で、ご自身をささげる、という決意を語られています。十字架で果される救い主としての役割を受け入れたイエスは、ご自身の死によって、ご自身を信じる者たちが、イエスと共に真理の神に奉げられるのだ、と、宣言されているのです。
人と人が仲良く共に居ると、周囲の人がその場所に、おだやかさ、温かさ、そして
落ち着きを感じます。イエスは、ご自身が神と共にあり、神と共に歩まれたように、
私たちがイエスご自身と一緒にいるなら、神も私たちと一緒に居られる、と言うのです。神の子イエスと私たちは、十字架によって一つとなり、私たちはイエスと共に神の子、神の家族となりました。そして、神の国が私たちの国となりました。
 一緒にいる。一つになる。それは、どんなことでしょう。
私たちがイエスの十字架と復活を感謝し、罪赦されたことを喜ぶ時、私たちの内から、
神への感謝と共に、神への愛が湧きあがります。
この愛は、神が私たちを愛して、私たちに注いでくださる愛によって、私たちの中に
満たされて行くものです。
 いま、私たちが生きている日常は、そこなりに幸せで楽しいものかもしれません。
でも、私たちが経験するすべては、常に変化します。この世の中で、変わらず終わらずに続くものはありません。この世の、限りある時間の中の暮らしは、バビロンで
捕囚となっていた人々の、帰りたい 帰りたいと願いつづけた時間に似ています。
私たちは、イエスの十字架によって、神の国の国籍を与えられました。
イエスが招いて下さる、終わることのない 変わらない帰るべき家、帰るべき国です。
いま、生きている場所で、私たちはイエスと共に神と共にある信仰を守り、
神の家族のつながり、神とイエス、イエスと私たち、私たちと紙の親しい関係によって
愛の中で、平和と平安とを生み出す、その関係を示して行きたいのです。
 いま、日常を私たちと共にしている人たちの中には、神に出会っていない人たちが
たくさん、います。今 住んでいる場所で、今 働いている場所で、
そこにいる人たちのため、平安を求め、神が恵みを注いでくださるよう祈りましょう。
そして、この愛の関係が、世に知られるように。世のなかの、まだ神を知らない人たちに、この愛の温かさを伝えていきましょう。
お祈りいたします。