パウロはエフェソで牧師として奮闘している弟子テモテへの手紙に、信心のために自分を鍛えなさい、と、書きました。体を鍛えることは、やり方はわかりますし、健康になるなどの良い効果もあることは知られています。信仰を鍛える。心を鍛える。信心のために自分を鍛えるとは、どんなことでしょう。
昨年から、コロナウィルス感染予防のため、外出は控えて。人との接触は減らしてと、
注意される中で、太った。運動不足だ。と感じている人が増えています。
痩せるために糖質を制限する、など食生活を工夫する人たちもいます。
動かないでいると、普通に立ったり座ったりするための筋肉さえも落ちてしまいます。
まったく体を動かしていない人が、毎日、運動をして健康な生活をおくるためには、まず、
運動のできる体になるために、必要な筋肉をつける必要があります。
体を動かす習慣のない人が動くと、はじめ体は疲れます。痛みも感じます。そこで止めずに続けると、だんだん動きやすい体、動くことが気持ち良い体になります。体形が変わり、
強くなり、転びにくい、動いても痛まない体が出来上がっていきます。
神様を信じることは、体を鍛えることに似たところがあります。神様に心惹かれて、
もっともっと、神様の事が知りたい、と生活し始めると、自分自身の弱さ、自分の生き方の罪深さに気づかされます。そして、心が痛んで疲れてしまいます。
それでも神様を知るために、聖書を読み、祈り、礼拝する生活を続けると、今度は神様が
自分に力を与えていて下さる。愛して守っていて下さる、と、少しづつ気づくようになります。そして、もっと神様に近づこうとし続けていると、神様から恵みを与えられていることに気づき、神への祈りも、願い事から感謝に、変えられて行きます。そして、生活の中に喜ぶことが増えていきます。日々与えられる神様に感謝する生活を続けると、信仰は強くなり、困難や悩み、苦しみに出会う時も、落ち込む前に、「神様、どうしましょう?」と、
祈ることができるようになります。
神様を知らない時、信じていない時、失敗する自分はダメな人間。弱い人間、と思ってしまいがちです。でも、信仰を持って生きると、困った事、悲しむ時、苦しむ時、そこにも
神様が共に居て下さる、と知るようになります。
「わたしは世の終わりまで、いつも共に居る」と言って下さった神様の言葉を思い出して、神様が助けて下さる、と、期待することができます。
きょうの旧約聖書イザヤ書には、さらに力強い約束が書かれています。
イザヤは主なる神はあなたの呼ぶ声に、直ちに答え、恵みを与えて下さる。と預言します。
すでに北イスラエルの都サマリアは、大国アッシリアによって陥落し、南ユダの人々は、
自分たちの都エルサレムも、同じように滅ぼされる、と、恐れていました。
預言者は、ユダの王たちが外国と同盟を結んで国を守ろうとする企てを、神の御心ではない、と、伝えました。アッシリアが、やがてバビロンによって滅ぼされることも、バビロンによってユダの国から、王や政治家たちが捕囚として連れて行かれる。自分たちの国の主権を失う苦しみ、悲しみの中に、主なる神のご計画があったのです。
捕囚の地で、祭司たち預言者たちはイスラエルの歴史と神の教えを書物に書き記しました。預言者たちの話す言葉だけでなく、現代につながる聖書によって学び、神の御言葉を読む民として育てられました。旧約聖書の現代の私たちが読んでいる書物のほとんどが、捕囚先のバビロンで編集されました。また、エルサレムに戻ることが叶わなかった彼らは、
エルサレムの神殿を思って憧れながら、自分たちのいるところに神のための礼拝所をつくり、礼拝を続けました。
新約の時代にパウロたちが伝道した町々に、ユダヤ人の会堂があり礼拝が行われていたのは、捕囚の時代に編み出された方法から始まったのです。
あなたがどこに行ってもあなたを導く方がそこに居られる。彼らの蒔く種は雨を与えられ、穀物は豊かに実る。彼らの労働は祝福され、たとえそこが彼らの国でなくとも、
彼らの生活は祝福される。彼らの飼う家畜も、食べる餌に困ることは無い。
あなたたちの背後から主は、あなたたちに語り掛ける。
「これが行くべき道だ、ここを歩け 右に行け、左に行け」と。
イザヤが神から受けた言葉の中には、
「あなたたちを先祖伝来のあなたの土地で暮らさせる」という約束はありません。
支配者 権力者の象徴である塔は倒される、という預言があるだけです。そびえ立つすべての山や丘は、他の神の礼拝所や人々が拝むご神体を表します。神々の礼拝所の上を、
神の川の水路が走り、神の癒しの川が流れる。民の傷は癒され、神は圧倒的な光の中に
ご自身を表されます。
ご自分の民が主に立ち帰るならば、主は恵みを与えようと待っていて下さる。傷つき悩む民に憐れみを与えるため、立ち上がって下さる。民に必要なのは、神の言葉を聞いて従う
信仰です。自分たちの信じる神の声を聞き、偶像を捨て、神の導きに従う信仰なのです。
パウロがテモテに手紙で教えたように、信仰を鍛えることは命に係わる事です。
体を鍛えることより大切で、重要です。信じる心を鍛えることは、この世と来るべき世での命を約束する、とパウロは書いています。運動して鍛えた体は、今の私たちの体を健康にしてくれます。体の健康は毎日の元気の素。そして信仰を鍛えることは永遠の命の問題です。
パウロは信仰を鍛えることは、すべての点で益となる、ということを実感しているらしく、この言葉はそのまま受け入れるに値します、と太鼓判を押しています。
テモテには、言葉も行動も、愛も信仰も、純潔も、だれからも軽蔑されない、模範となるように、そしてテモテ自身、神から受けた恵みを軽んじるな、とも教えました。
私たちは救い主である生ける神を信じています。私たちの罪を背負い十字架に架かり、
罪と死を打ち負かした復活の主です。この方を信じて私たちの罪も、罪による永遠の死も、すでに解決された。私たちは救われています。私たちはこの方に希望を置いています。
パウロがコリントの信徒への手紙1で書いたように、信仰と希望と愛はいつまでも残る。
希望と神の愛は、神の国に至る私たちの旅を守り、神の前に私たちを導きます。この希望を伝える働きが、私たちに与えられているのです。信仰を日々 鍛えることは、私たちの心の目を鍛えます。
鍛えなさい、という言葉の前に、俗悪な作り話を避けなさい、とパウロは注意しました。
当時も今も、世の中にはいろいろな教えや知恵、知識が溢れています。
神を証し正しい福音を伝える教えであるかどうか。神の国に至る希望を伝える者として、
大切な人たちが神の国への道を進めるよう、見分ける力が、必要です。
主は私たちの信仰を強めご自身の声が届くよう、私たちをご自身の希望によって導き、
運んでくださいます。イザヤが預言したように。
あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け」と。
お祈りいたします。
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