イエスは、焼き魚を食べました。ご自分は幽霊ではないし、亡霊でもない。実体がある。
それを示すため、イエスは「ここに何か食べものがあるか」と言われたのです。
復活されたイエスが再び、人々の前に現れた時、イエスがそこに居ることを信じられず、
不思議がってイエスの話を聞こうとしない人々がいたのです。食事することもできる体を
持つ、彼らの知っているイエス。何度も見たことがある食事風景。イエス様の食べ方だ。
驚いていた彼らは、少し落ち着きました。イエスは彼らに言いました。
「わたしについて、モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は実現する」
モーセの律法と預言者の書と詩編 とは、今の旧約聖書のことです。この当時、まだ
聖書はそれぞれ羊皮紙の巻物の形のバラバラの書物。1冊の書物に編集されてはいません。
イエスは聖書を悟らせるため、彼らの心の目を開いた、と、ルカは書いています。
イエスは彼らがよく知っている聖書から、2つのことを確認させました。
1つ目。メシアつまり救い主は、苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
2つ目。罪の赦しを得させる悔い改めが、メシアの名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。以前なら、イエスが話すのを聞いた弟子たちは「いま話されたのは、何のことですか?」と、イエスに聞いて、教えを受けていました。でも、今、彼らはイエスの言葉を理解できる、
判るための記憶を持っています。
彼らは、イエスと共に祈るためにゲッセマネの園に行き、イエスが大祭司の手の者によって捕らえられた時、一緒にいた人々でした。また、イエスがローマ兵に追い立てられながら、
ゴルゴタの丘へ向かって歩いて行く姿を、目撃した人々も、そこにいました。
イエスのために魚を焼いた人の中に、イエスが墓に葬られた時、場所を確認した女性たちも
いました。彼らは、確かに見たのです。傷ついたイエスが苦しそうに歩いている姿を。
彼らは、忘れてはいないのです。イエスが葬られた墓に行っても、イエスの体を見つけることが出来ずに戻って来た、あの時の驚きを。
エマオに向けて歩く中、ずっと、その人がイエスだと気づかずにイエスの死と復活について
議論した、あの二人の弟子たちも彼らの中にいました。
すでに、確かに、聖書の言葉は実現した! 彼らはイエスの言葉にハッとしました。
確かに、イエスは苦しみを受け十字架につけられ、死んで葬られた。そして三日目に復活して、こうして自分たちの所に来て下さった。確かに生きている主イエス。
だって、焼き魚を食べていた!彼らの中で、小さいころから読んできた聖書の言葉と、
目の前にいるイエスがはっきりと、一致しました。聖書に書かれていたのはこの方だ。
神が遣わされたメシアは、私たちの知っているイエスなのだ、と。
きょう読んでいただいたエレミヤ書は、神がどのような方かを丁寧に書いています。
神は力ある方です。私たちが立つ大地は神が造られました。神の知恵によって、世界の国々、地球上の島々はその場所を定められました。神の賢さは宇宙の端々にまで及びます。
世界には人々が造り上げた、あらゆる美しい美術品や素晴らしい建物、造形があります。
私たちは造り出した人の技術や才能にびっくりします。名工と言われる人たちが、人生をかけ工夫し、造り出す輝きは私たちを感動させます。私たちの生活を豊かに、便利にする研究。
私たちの命を守る研究や努力を、私たちは尊敬しますし、喜び、感謝します。
でも、努力して造り出したものが、人間を間違った方向に導くことがあるのです。
人は自分と同じ人間が創り出したものを、美しい素晴らしいと感じる心を与えられています。でも、その感動と神を求める心、神への信仰を見間違えてしまうことがあります。
エレミヤ書は、人間が創り出したものが、造り出した金細工人が技術者が、辱められる、
嘲られることがある、と言うのです。素晴らしい技術、精巧に美しいものを生み出す力。
その力を使って、「神」を造り出してしまう。
人は神を見ることが出来ない。神の声も、人は聞くことができません。
芸術も技術も、神が人のために与えて下さった。神は人に感動する心を与えなさいました。それは神を感じる力、すべての造られたものの内に神を見出し、喜ぶ力です。神は命の神であり、永遠を支配する神です。神は真理の神。神は造り出した私たちを守り、世が終わっても、私たちをご自身と共に永遠に生かして下さる方です。私たちが神を信じて従うのは、造り主だからだけでなく、神が最初の人アダムに神が告げられたように、空しくもとの土の塵に返ってしまわないため。神はアダムに「塵に過ぎないお前は塵に返る」と言われました。
主イエスが世に来られて、苦しみを受けたのは、私たちが滅びて空しく塵に返る前に、罪赦されて真実の神から永遠の命を受けるためなのです。
復活したイエスが共に居て下さる。そのことに気づいた人々は、イエスが祝福の祈りを捧げながら、天に上げられるのを見届け、イエスを伏し拝みました。
自分たちと一緒に居て、神の国を教えて下さったイエスこそ、救い主なる神メシアである。
そのことを知った彼らは、イエスが天に上げられても大喜びしていました。
彼らはエルサレムに帰りました。イエスがこう言っておられたからです。
「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
彼らはエルサレムに留まり、イエスの約束された力を待ち続けました。
彼らはイエスの死と復活の目撃者、イエスの死と復活が旧約聖書に預言されたメシアを表すことを知っている者。メシアによって罪の赦しが与えられたことの証人です。
私たちはその良い知らせを聞いたあらゆる国の人々のうちの1人です。イエスの言葉を知り、
今も実現し続ける旧約聖書の預言の言葉、イエスの福音の実現を喜び、罪の赦しを得させる
悔い改めをイエスの名によって、宣べ伝える者。主と共に神の約束を実現させる者です。
お祈り致します。
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