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「すべて豊か」

 

 「始めたからには、やり遂げなさい」パウロはコリントの信徒と弟子テトスに言いました。

テトスはコリントの教会とパウロのところをたびたび往復し、手紙を届けました。

パウロがやり遂げなさい、と言ったのはコリント教会が行っていたエルサレム献金です。

エルサレムではこの地方の飢饉のため、教会の運営も、信徒たちの生活支援も困難になり、大変困っていました。アジアやマケドニアで伝道活動を行っていた宣教者たちは、イエスの福音と共にエルサレム教会の困窮ぶりを知らせ、支援を呼び掛けました。

 パウロは、コリントの北のマケドニア州の教会で行われているエルサレム献金の様子を、コリントに伝えました。コリントと比べると、マケドニアのベレアやテサロニケ、フィリピの教会の信徒は経済的には豊かではありません。支配者層より労働者や奴隷の身分の信徒が多い地域で、パウロたちも彼らは生活を守るだけで手一杯と考えてエルサレム献金活動への参加を呼び掛けませんでしたが、彼らも呼びかけを耳にするようになりました。

エルサレム教会の苦しみを知ったマケドニアの信徒たちは、この献金への参加を申し出ました。「しきりに願い出た」新改訳では「大変な熱意をもって懇願した」とあります。

彼らの心をパウロは「極度の貧しさが溢れ出て、施す豊かな富となった」と表現しました。

とても印象的ですね。

 実はエルサレム献金を始めたのはコリントの教会が先です。パウロは比べています。

あなた方がすでに始めているこの慈善の業が、あちらの教会のほうが活発に行っていますよ、と。彼らを煽って、より多くの献金を集めようとしているのでしょうか?

パウロは一度も、金額を話題にしません。彼が確かめようとしたのは愛の純粋さです。

パウロが書いた1通目の手紙には、コリントの教会が仲間割れしていたことが書かれてい

ます。パウロ派・アポロ派・キリスト派などに分派し、一致が無かった彼らは、今は悔い改めました。パウロはこのことを7章で喜んでいます。どうしても人と自分を比べてしまう彼ら。その弱さを知っているパウロは、あえてマケドニア教会と比べるような書き方をして、彼らに伝えようとしたのです。

パウロはコリントの人々に「あなたたちは信仰も、聖書の言葉の学びも知識も、豊かに持っている。それに あなたたちは愛にあふれていて、わたしパウロからもいろいろな教会からも豊かに愛されています。あなたたちはこんなにも豊かに、神からの恵みと祝福を受けています。慈善の業からも恵みを受けなさい。すべての点で豊かになりなさい」と言いました。

収入や財産、社会的な立場をマケドニアの人たちと比べたのではありません。

社会的には貧しいマケドニアの信徒たち。でも慈善の業は彼らを豊かにしました。

マケドニアの教会の信徒たちは、喜んで熱心に奉仕し、捧げる幸せと神からの祝福を感じていました。パウロはこの喜びを、コリントの信徒も経験するよう奨めたのです。

 きょうの旧約聖書申命記には、イスラエルの信仰告白と、捧げものをする時の基本的な

やり方が5つ、書かれています。

① あなたたちは与えられる約束の地で、その土地の実りの初物を捧げなさい。

② それを主の名を置くための場所  これは神殿のことです。そこに持って来なさい。

③ 祭司に初物を渡し主が与えて下さった土地からの実りです、と言って祭壇に供えなさい。

④ そして、信仰告白をしなさい。申命記26章5節~10節は信仰告白の原型です。

⑤ あなたの神 主の前にひれ伏し、自分と家族に与えられた賜物を、レビ人や寄留者と共に喜び祝いなさい。

申命記にこの捧げものの方法が書かれていることに注目して下さい。この信仰告白の言葉は未来の事。まだ実現していません。イスラエルはまだ約束の地に入っていないのです。でも神は、約束の地の収穫、約束の地での礼拝と奉献を彼らに教えたのです。

あなたたちは、わたしが約束した地に入る。そして、そこで地を耕し、豊かな収穫を得る。土地を与えられた喜び、収穫の喜びと感謝を奉げる神殿を、あなたたちは建てる。

あなたたちの神、主のための祭司が与えられる。その礼拝は主の御心に適う。

与えられたものを共に喜ぶレビ人とは、イスラエルの民の中で神に仕えるために選ばれた人たち。現代言う、教会の信徒たちです。寄留者はイスラエルの民と共に旅した外国人。

今の教会の信徒を神の家族イスラエルと考えると、寄留者は洗礼を受けていない求道者と呼ばれる人たち。これから神の家族に迎えられる人たちです。

与えられる収穫と神を礼拝する生き方を、主は約束の地への旅の途中で

イスラエルに未来の明確な計画として教えました。民が神の前で告白する言葉は、彼らが

先祖アブラハム以来、経験してきた民族の歴史を再確認するものとなっています。

あなたたちの今の苦しみは、約束の地であなたたちの証しとなる。

神があなたたちを導いて下さる。今の旅、今の苦しみは、あなたたちの信仰告白となる。

 申命記のイスラエルから見れば、コリントの信徒たちは私たち日本の信徒と同じ、

新しく加えられた神の民、信仰を持った もと寄留者たちです。

パウロはコリントの信徒たちに、「自分が持っているものでやり遂げる」よう教えました。

無理して、自分の能力以上を奉げようとしなくていい。与えられている豊かさを、進んで

捧げなさい。信仰も聖書も知識も熱意も、すべて主イエス・キリストの恵みを知って与えられたのです。

 主イエスは神であり、すべての善いものの源であり、豊かでした。この主が私たちと同じ人となられました。さらに私たち人の罪を背負い、十字架で死んで最も低く貧しいものとなって下さいました。主が贖いの捧げものとして貧しく弱いものとなって、私たちを豊かにして下さいました。主の犠牲と復活によって、私たちは神の子となり家族となったのです。

 奉仕をする。捧げる。これは教会の中で神様のために働くこと、と考えがちです。でも、

神は教会だけでなく全てのものをお造りになりました。主はお造りになったそれぞれの場所に、私たちを遣わし、それぞれの働きとその実りを与えて下さいます。

その実りを持って、神の前に行き、働きを守って下さる主に感謝と賛美を奉げましょう。

私たちは、主への信仰とみ言葉と愛を豊かに与えられた者。私たちの日々の経験の中に

働いていて下さる主の導きが、私たちの証しとなり信仰告白となります。

主は共に居て私たちと共に働かれる。この方と共にいるから、

私たちは、すべてにおいて豊かなのです。        感謝して、お祈りいたします。