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「神殿を建てよ」

 

 きょう読んで頂いた旧約の箇所は、ユダヤ人たちがバビロンからの帰還を赦された時に

与えられた預言の言葉です。彼らは待ち続けた故郷に帰り、生活を立て直すために頑張っていました。捕虜の立場を解かれ、自由な自分の国の国民として帰ることができた彼らは、

自分たちの日常生活を取り戻すことを優先しました。

自分たちには神が居る。信じ従うべき神が居る。だけど今は非常時ですから。

祈ったり捧げものをしたり礼拝するより、考えなくてはいけないことがあるんです。

神殿を再建するのは、自分たちが住む場所を確保できて、着るものも食べる物も心配がなくなってからでいいでしょう?彼らはそう言って、神殿再建を後回しにしました。

 現代の私たちが、こう言っているのと、そっくりですね。⇒

まだ就職先が決まらないんです。いま、子育て中で他の事を考えられません。

会社の経営が危機で。毎週礼拝し身も心も聖い生活には、まだ自分は足りないことばかり。

もっと経験を積んでから。もっと生活が落ち着いてから。

清さを求めるのは年取ってからでいいと思います。・・・というように。

 誰もが知りたい情報、飛びつく話題は世の中で、だいたい5つほどにまとめられます。

健康問題、財産管理、子育て、介護、そして「活」が付く話題:就活・婚活・妊活・終活

でしょうか。テレビ番組も雑誌の記事もネット情報も、この5つの話題で構成されます。

残念ながら、どんなに探しても調べても、信用できる確実な情報や方法にたどり着くことは難しいのです。

考えてみて下さい。健康とは命の問題です。財産は人と出会い関わりあった結果として得られるものです。子育ても病気や高齢化の問題も、活の付く問題も、どんな問題も

その元を捕まえることができなければ、完全な解決はありえないからです。

 命を与えることも取り去ることも、できるのは神お一人です。

天地万物を造られた全知全能の神が居られる。全てのものは神から始まり、神の手の中に

あります。私たちが追いかけているもの、必要なものは究極、どこから来るのか。

ハガイは預言しました。

種を蒔いても、頑張って働いても、思ったように上手くいかないのは何故なのか。

美味しいものを食べても、素晴らしいものを集めても、満たされないのは何故なのか。

第1コリント3章16節に、次のように書いてあります。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか 」と。

 大学生伝道をするキャンパスクルセードという団体が配布しているトラクトに椅子の絵があります。1つの椅子を取り囲む沢山の椅子。あなたはどの椅子に座っていますか?

中央の椅子にいるのはあなた?他の誰か?それとも、主イエス・キリストですか?

主の神殿である私たちの内に、主が住んでいて下さるか。それとも主を押しのけて、

自分自身または、神でも自分でもない何かを神として置いていはいませんか?

 第1コリントでは、神の選びのことが書かれています。

あの人は神さまに選ばれて神様のために働いている。選ばれるのだから、あの人はきっと、賢くて有能で育ちがいいのだ。すごいな、いいな。そう思うかもしれません。

人間同士は、重要な役割を任せる時、確実にその仕事ができる人に任せたいものです。

経験や知識があるかどうか。あの人はやり方を知っている。あの人ならば上手くいく。

より良い結果を得られる。でも、神が信仰を与えた人たち、救いの福音を知って人々に

伝えなさい、と遣わす人々については、その判断は間違っています。

神は「上手に伝えること」を求めてはいません。それどころか、どうしたら神の恵みを伝えることができるか、何をしたらいいのか、知らない人。わからない人。できない人を主は

選ぶ。神が私たちを選んで下さったのは、知恵でも能力でも家柄でもない。地位や権力の

ある者だったからでもないのです。

賢くてデキル人の話は、聞きやすく解りやすいかも知れません。

聞いた人たちは、「聞きやすいお話をしてくれるその人」を覚えています。けれど、

残念なことに、その人が伝えた内容は忘れてしまうことがあるのです。

神の国の福音を伝える。私を救って下さったイエス・キリストを伝える。

そのために必要なのは、「上手に話す」ことよりも、神様が聞いた人の心に残ること。

神の言葉が伝わって、聞いた人に命の光が届くこと、なのです。

 私たちは神に選ばれた者。救い主イエス・キリストの十字架によって罪赦された者です。

神が望んでおられ、私たちも願っていること。大切な人たちが、イエスの十字架と復活の

知らせを受け取り、私たちと一緒に神の国で神の民となる未来が来ること。

その実現のために、きょうからの時を使いましょう。

 ハガイを通して、主は言われました。「神殿を建てよ」。山に登り、木を切り出して。

私たちの日常よりも高く尊く居る方を見上げるため山に登る。心を高く上げるのです。

そして、私たちの心に育つ信仰、それぞれの心で育った木を主に奉げて、

私たち自身を主の神殿として建て上げましょう。

マタイによる福音書6章33節で「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と、

主イエスは言われました。健康も、お金の心配も、人間関係も、

主は私たちの必要をご存知です。私たちが何もわかってない、何もできないことも。

知っていて、解っていて、主は私たちを選ばれました。

「誇る者は主を誇れ」

私たちが何もできないから、私たちの必要のために主が働いて下さるのです。

選ばれた喜び、主に日々助けていただける喜び、主が共に居て下さる喜びを伝えましょう。主が私たちの心のまん中に居て下さる。

神が私たちを選び、私たちをご自身の聖霊の住む所、神の宮、神殿にして下さいます。

神殿の魅力は、そこに住む神の魅力です。

お祈りいたします。