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「帳消し」

 

 きょうのマタイによる福音書は「赦さなかった僕」という聖書絵本にもある、有名なお話しです。帳消しになった1万タラントンは、大変に大きな金額です。

当時の日当は1デナリ。1タラントンは6,000デナリに相当します。6,000日分。

ぎりぎりの生活をしても30年はかかる。健康な一人の人の一生分の収入にあたります。

さらにその1万倍。払える金額ではありません。

 この主君が治める国では、借金を返せなかった者は投獄され、全財産、持ち物も、子どもも妻も自分も、すべて売って返済するよう命じられました。人身売買が犯罪とされる現代日本では無い処罰です。もし、借金を返すことが出来たとしても、この人は仕事も家族も家も、生活の場も失います。自業自得と言えばそれまで。切り捨てられたこの人の人生に回復の道を見出すのは大変なことです。この人と家族の、生存の危機です。

 主君は憐れに思いました。主君はこの一家の命を保つため、借金を帳消しにしました。

彼の返すことのできない膨大な額の借金は棒引きされ、子どもも妻も自分自身も売る必要は無くなりました。家も仕事も生活の場も失う不安はもうありません。

6,000日×1万の債務の帳消し。解放感と安心を与えられた彼が出会った仲間が彼から借りていた100デナリは、だいたい3~4か月の収入に相当します。家来が主君から帳消しにしてもらった金額と比べ物になりませんが、返せと言われて即、返せる金額ではありません。仲間は「待ってくれ」と返済する意志を示しました。しかし家来は仲間を投獄しました。

自分は赦されて家族も家も仕事も失わずに済んだ彼は、仲間には容赦しませんでした。

 創世記45章はイスラエルの12人の息子たちの物語の最終章です。

イスラエルの息子ヨセフは10人の兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売られました。彼は奴隷でしたが、ファラオの夢を解く知恵を主なる神に示されファラオから大臣に任命されました。主は彼を用いて世界が大飢饉の苦しみに会う時にエジプトを救い、エジプトを頼った世界の人々を救いました。やがてイスラエル一族もエジプトを頼った時、ヨセフはやってきた兄たちに気づきました。

42章から44章はヨセフが兄たちを試すためにした計略が書かれています。

兄たちも、たった一人の弟ベニヤミンも老いた父も、ヨセフは死んだものと思っています。

飢饉は続き、エジプトで食料を手に入れなければ、イスラエル一族も生き残ることは難しくなっていました。最初に食料を買いに行った兄たちは大臣ヨセフの計略でスパイ容疑をかけられ、食料を与える代わりに、兄弟の1人シメオンが牢に繋がれました。

二度目、兄たちは大臣が命じたように弟ベニヤミンを連れて食料を買いに来ました。

ヨセフは弟に盗みの容疑がかかるように仕向けたのです。兄たちはもし、ベニヤミンが死ぬような事があれば、父イスラエルが悲しみのあまり死んでしまうと大臣にすがりました。

 最初の食料調達の時から、ヨセフはエジプト人のふりをして、兄たちが話し合う言葉を

聞いていました。兄たちは自分たちが困った立場になったことを、自分たちが弟を苦しめたからだ、弟の血の報いを受けているのだ、と話し合っていたのです。

兄たちは自分の事を忘れていない。自分を苦しめたことを後悔している。

ヨセフは、もう一人の兄ユダが自分が身代わりになる、と言って願った言葉を聞いて、

とうとう泣き出し、自分が弟ヨセフだ、と打ち明けました。ヨセフは兄たちの姿を見て

以来、自分がいま、エジプトに居ることの意味を、神が自分を今の立場に置かれた理由を

考えていたのです。45章5節から8節で、彼は言っています。

「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。

命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。

わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの

顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。」

 1万タラントンの借金を帳消しにして頂いた家来は、仲間を無慈悲に扱い、

主君に呼び出されました。

「不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしが

お前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」

 私たちはイエス・キリストの十字架と復活を知り、信じて救われました。私たちの罪は、

十字架によって帳消しとなり、永遠の命への希望を与えられ神の国に招かれています。

主は私たちの目を開いて、私たちが神を信じていること、神が造られた世界で、神が私たちに与えて下さる導きと恵みに気づく力、喜ぶ力を与えて下さいました。

イエスの7の70倍 赦せ、という言葉を、数字のまま490回、数えたなら、相手の罪を忘れないなら、その人は赦した、と言えるでしょうか。赦さず忘れず数え続けた時間は、愛のある豊かな時と言えるでしょうか。

あの家来の借金が帳消しになった経験は、仲間に憐れみを示すために用いるべきでした。

まだイエスの十字架も復活も知らない友の救いのために、神は私たちに先に贖いと救いの

恵みを与えて下さいました。

ヨセフは奴隷となった苦しみ悲しみの中でも、神に導かれ知恵を与えられ、やがて家族を

命の危機から救う力を与えられました。神はヨセフ自身の、兄たちから憎まれる性質を示し、兄たちに反省と回復の時を与え、彼らの中の憎しみや争いを消して下さいました。

過去の憎しみも悲しみも後悔も、すべてこの時のため、命のためだと言うヨセフの言葉に、

兄たちは泣きました。そして、互いに生きていること、再会できたこと、自分たちが家族であることを喜びました。そして、兄弟たちは老いた父のために話し合いました。

 憐れみと愛を示すために、主は私たちの罪を十字架によって帳消しにして下さいました。

仲間たちと共に、神の家族として、私たちの父なる神のために話し合う時です。

年老いたイスラエルが、兄弟たち全員が生きて、元気に帰ってくることを望んだように、

私たちの天の父は今も、神の家族の帰りを待っていて下さいます。

お祈りいたします。