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「更にまさったもの」

 

 ヘブライ人への手紙の11章は1節の「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」というによって、旧約聖書の沢山の信仰の先輩たちを、そして聖書全体が見えるようにしてくれる、一つの望遠鏡のような箇所です。

 きょうはエリコの町にたどり着いたイスラエルの民と、ラハブという女性に注目したいと思います。エリコの戦いはヨシュア記6章に書かれています。エリコは町そのものが城のような城壁に囲まれた町でした。ヨルダン川と地中海の間。ヨルダン川西岸と呼ばれ、塩の海として有名な死海の北側にあります。ここはイスラエル人たちがヨルダン川を渡ってはじめて、過ぎ越しの祭を祝った所。祭の翌日から彼らが約束の地の産物を食べる暮らしが始まりました。荒野の旅の初め、彼らはエジプトに居ればパンも肉もお腹いっぱい食べられたのに、と文句を言いました。マナは神が彼らに40年間与え続けた食べ物でした。彼らが夢見た豊かな食卓はカナンに入って実現しました。それは神が彼らをマナで養った年月が終わる時でした。神が約束された地を取り戻す戦いが始まりました。

 イスラエル人の指導者ヨシュアは斥候=スパイを送ってエリコの町の様子を探らせました。スパイたちは娼婦ラハブの城壁の上の家に泊まってエリコを調べました。娼婦は一般の人たちとは一緒に住まず、町の外れに住む。これはどの国でもあることですが、娼婦は外からの敵の前に置かれた生きた防御壁にされます。町の中に住む女性たちや家庭を守るために、町は娼婦たちが犠牲となることを黙認していたのです。城壁の中にあるラハブの家も、町で最も危険な所。でもかえって、外からの情報も入りやすい所です。スパイが探索の拠点に彼女の家を選ぶのは当然です。城壁の上のラハブにはエリコの町の状況がわかります。

神の力で紅海の中をイスラエルの人々が歩いて渡った、というニュースは、ヨルダン川西岸のアモリ人の王たちも、ラハブも知っていました。

ラハブは考えました。生きて行くためにこの仕事をしているけれど、守ってくれるはずの

この国の王たちは戦う気力を失っている。

イスラエルの民は神を味方につけている。どうしたら私は生きのびられるだろう。

王に期待するより大自然を動かす神にすがるほうがよいのではないだろうか。

ラハブは侵入者を探しに来たエリコの王の兵士たちを騙し、スパイを匿いました。そして、スパイたちを助けた見返りを求めたのです。自分たち一族の命を助けて下さい。

私たちを助けるという確かな証拠を下さい。私の命のために誓って、と迫ったのです。

 ヨルダン川も渡ったイスラエルを恐れて、エリコは城門を堅く閉ざしました。

主の軍の将軍がヨシュアに現れて指示を出しました。天使ではなく将軍。軍を指揮する者です。これから始まる戦いは人間の戦いではなく主の戦いなのです。戦いは7日間。イスラエルは総力戦ですが、とても静かな戦いでした。宿営を出て、また宿営に戻るまで、兵士は。声を立ててはいけない。エリコの人々は角笛の音と共に城壁を周る足音を聞くだけ。

町にも人々にも変化はありません。ただ、ラハブの家には彼女の一族が集まっており、

彼女の家の窓にはスパイたちから渡された約束の赤い紐が結んでありました。

スパイたちが彼女の命を救う目印として、残して行った紐です。

祭司の角笛が長く鳴り響いたら、兵士も民もみんなで鬨の声を上げなさい。

日本で言えば、エイエイオーでしょうか。

 イスラエルの武装した兵士は祭司を守っている者たちだけほんの数人。堅牢な城壁の町を攻めるには不足です。イスラエルが完全に勝利を得たのは彼らの力ではありませんでした。彼らは信じていたのです。紅海もヨルダン川も、主は歩いて渡らせて下さった。長い旅の間、私たちはマナを食べて来た。城壁の町エリコを探ったスパイたちも、エリコの人々は

私たちの神、主を恐れていると言っている。自分たちは勝てる。彼らは信じて、行動して、与えられました。彼らが手を出すまでもなく、城壁は崩れ落ちました。

 イスラエルの神を恐れる。それはエリコの王もラハブも同じです。

エリコの王は弱さを隠し、城門を閉じ自分の力の及ぶところに閉じこもりました。

ラハブは恐れ、でも閉じこもるのではなく神と神の民に救いを求め、命を委ねました。

彼女の名は新約聖書マタイによる福音書1章5節に出てきます。神がイスラエルに約束した地で生きて来たラハブは、アブラハムの子孫サルモンと結婚しました。

サルモンはあのスパイの一人です。ダビデ王は彼女の子孫です。そして救い主イエス・キリストの母ナザレのマリアも、彼女の子孫です。

ヘブライ人への手紙に書かれている沢山の信仰の戦いを戦い抜いた人々が持っていた

自分たちの国の回復の希望。それは叶えられました。確かに、神はイエス・キリストを遣わし真の王国を建てて下さった。それは、地上のイスラエルのような限定された国ではありません。もっと大きな、天に王座を据えた、神の国です。

ヨハネによる福音書は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と書いています。

イスラエルの民が願ったより、さらにまさった恵みと祝福を主イエス・キリストは私たちに与えて下さいました。ラハブは、町の人たちの矢面に立っていた立場から救われました。

荒野で命がけの旅をしてきたヨシュアたちは、鬨の声と共に崩れた壁を乗り越え、エリコの町に入ることができました。

主イエスの十字架は、神と私たちを隔てていた壁を崩す力です。復活されたイエスは天に昇られる時、弟子たちに命じられました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を

宣べ伝えなさい。」神の国にすべての造られた者たちを招き、共に神に家族となるために、

「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」神は私たちを用いて、神の国を完成させて下さる。この働きのために、主イエスは私たちを招いていて下さいます。 ヘブライ人への手紙の11章は1節の「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」というによって、旧約聖書の沢山の信仰の先輩たちを、そして聖書全体が見えるようにしてくれる、一つの望遠鏡のような箇所です。

 きょうはエリコの町にたどり着いたイスラエルの民と、ラハブという女性に注目したいと思います。エリコの戦いはヨシュア記6章に書かれています。エリコは町そのものが城のような城壁に囲まれた町でした。ヨルダン川と地中海の間。ヨルダン川西岸と呼ばれ、塩の海として有名な死海の北側にあります。ここはイスラエル人たちがヨルダン川を渡ってはじめて、過ぎ越しの祭を祝った所。祭の翌日から彼らが約束の地の産物を食べる暮らしが始まりました。荒野の旅の初め、彼らはエジプトに居ればパンも肉もお腹いっぱい食べられたのに、と文句を言いました。マナは神が彼らに40年間与え続けた食べ物でした。彼らが夢見た豊かな食卓はカナンに入って実現しました。それは神が彼らをマナで養った年月が終わる時でした。神が約束された地を取り戻す戦いが始まりました。

 イスラエル人の指導者ヨシュアは斥候=スパイを送ってエリコの町の様子を探らせました。スパイたちは娼婦ラハブの城壁の上の家に泊まってエリコを調べました。娼婦は一般の人たちとは一緒に住まず、町の外れに住む。これはどの国でもあることですが、娼婦は外からの敵の前に置かれた生きた防御壁にされます。町の中に住む女性たちや家庭を守るために、町は娼婦たちが犠牲となることを黙認していたのです。城壁の中にあるラハブの家も、町で最も危険な所。でもかえって、外からの情報も入りやすい所です。スパイが探索の拠点に彼女の家を選ぶのは当然です。城壁の上のラハブにはエリコの町の状況がわかります。

神の力で紅海の中をイスラエルの人々が歩いて渡った、というニュースは、ヨルダン川西岸のアモリ人の王たちも、ラハブも知っていました。

ラハブは考えました。生きて行くためにこの仕事をしているけれど、守ってくれるはずの

この国の王たちは戦う気力を失っている。

イスラエルの民は神を味方につけている。どうしたら私は生きのびられるだろう。

王に期待するより大自然を動かす神にすがるほうがよいのではないだろうか。

ラハブは侵入者を探しに来たエリコの王の兵士たちを騙し、スパイを匿いました。そして、スパイたちを助けた見返りを求めたのです。自分たち一族の命を助けて下さい。

私たちを助けるという確かな証拠を下さい。私の命のために誓って、と迫ったのです。

 ヨルダン川も渡ったイスラエルを恐れて、エリコは城門を堅く閉ざしました。

主の軍の将軍がヨシュアに現れて指示を出しました。天使ではなく将軍。軍を指揮する者です。これから始まる戦いは人間の戦いではなく主の戦いなのです。戦いは7日間。イスラエルは総力戦ですが、とても静かな戦いでした。宿営を出て、また宿営に戻るまで、兵士は。声を立ててはいけない。エリコの人々は角笛の音と共に城壁を周る足音を聞くだけ。

町にも人々にも変化はありません。ただ、ラハブの家には彼女の一族が集まっており、

彼女の家の窓にはスパイたちから渡された約束の赤い紐が結んでありました。

スパイたちが彼女の命を救う目印として、残して行った紐です。

祭司の角笛が長く鳴り響いたら、兵士も民もみんなで鬨の声を上げなさい。

日本で言えば、エイエイオーでしょうか。

 イスラエルの武装した兵士は祭司を守っている者たちだけほんの数人。堅牢な城壁の町を攻めるには不足です。イスラエルが完全に勝利を得たのは彼らの力ではありませんでした。彼らは信じていたのです。紅海もヨルダン川も、主は歩いて渡らせて下さった。長い旅の間、私たちはマナを食べて来た。城壁の町エリコを探ったスパイたちも、エリコの人々は

私たちの神、主を恐れていると言っている。自分たちは勝てる。彼らは信じて、行動して、与えられました。彼らが手を出すまでもなく、城壁は崩れ落ちました。

 イスラエルの神を恐れる。それはエリコの王もラハブも同じです。

エリコの王は弱さを隠し、城門を閉じ自分の力の及ぶところに閉じこもりました。

ラハブは恐れ、でも閉じこもるのではなく神と神の民に救いを求め、命を委ねました。

彼女の名は新約聖書マタイによる福音書1章5節に出てきます。神がイスラエルに約束した地で生きて来たラハブは、アブラハムの子孫サルモンと結婚しました。

サルモンはあのスパイの一人です。ダビデ王は彼女の子孫です。そして救い主イエス・キリストの母ナザレのマリアも、彼女の子孫です。

ヘブライ人への手紙に書かれている沢山の信仰の戦いを戦い抜いた人々が持っていた

自分たちの国の回復の希望。それは叶えられました。確かに、神はイエス・キリストを遣わし真の王国を建てて下さった。それは、地上のイスラエルのような限定された国ではありません。もっと大きな、天に王座を据えた、神の国です。

ヨハネによる福音書は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と書いています。

イスラエルの民が願ったより、さらにまさった恵みと祝福を主イエス・キリストは私たちに与えて下さいました。ラハブは、町の人たちの矢面に立っていた立場から救われました。

荒野で命がけの旅をしてきたヨシュアたちは、鬨の声と共に崩れた壁を乗り越え、エリコの町に入ることができました。

主イエスの十字架は、神と私たちを隔てていた壁を崩す力です。復活されたイエスは天に昇られる時、弟子たちに命じられました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を

宣べ伝えなさい。」神の国にすべての造られた者たちを招き、共に神に家族となるために、

「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」神は私たちを用いて、神の国を完成させて下さる。この働きのために、主イエスは私たちを招いていて下さいます。

主と共に、やがて完成される神の国を夢見て伝えて行きましょう。

お祈りいたします。

主と共に、やがて完成される神の国を夢見て伝えて行きましょう。

 

お祈りいたします。