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「門が開いた」

 

 婦人たちは墓を出て逃げ去った。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。  8節のこの言葉は、矛盾しています。婦人たちがイエスの墓に行った時、一緒に居たのはマグダラのマリア、過去部とヨセフの母マリア、そしてヘロデの娘サロメ。
マルコが福音書に書いたイエスの十字架の死と葬りを目撃した女性たち。彼女たち以外、
誰もいなかったはず。なのになぜ彼女たちが墓に行った、と知っていたのでしょう?墓で見たこと聞いたことを、どうやってマルコによる福音書は記録したのでしょう? 
イエスについて書いた4福音書で一番短いマルコによる福音書は、他の福音書より先に
書かれた。この福音書を他の福音書は資料にしたと考えられています。マルコは使徒言行録でパウロと一緒に伝道したバルナバの従弟。弟子たちがイエスと最後の晩餐を行った家は、マルコの母の家だったようです。マルコはペトロと共に福音書を書きました。ローマ帝国内でキリスト教迫害が厳しくなる頃、表立って宣教できなくなった弟子たちは、イエスの福音が忘れ去られることが無いよう、急いで自分たちの記憶と信仰を記録しました。
マルコは「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書き始め、きょうの16章8節で終わります。16章の9節以降は、後に書き加えられたと考えられています。
 実際に何があったのか。一番最初の記憶はどれか。
マルコはあの日一番先に墓に行った人たちから聞き歩き、婦人たちをみつけたのです。
彼女たちは葬りの時、イエスの墓の場所を確認しました。日没が迫り、安息日が始まろうとしていました。彼女たちは次の日没と共に香料を買いに行きました。死者の体は布に包んで墓に納めます。イエスの遺体に香料入りの油を塗るために香料と油で腐敗を止めるため、
夜明けと共に墓に向かいました。買物もしました。場所の確認もできています。ただ、
墓の入り口をふさぐ巨大な石を、どうするか。彼女たちには転がせそうにありません。
わからないけど、とにかく行ってみよう。彼女たちの勇気と行動力は大したものです。
 墓に到着した彼女たちは、立て続けに驚かされます。大きな石はすでに脇に転がり、夜明けの薄闇の中、入って見た墓の中にはイエスの遺体はありませんでした。
入って右手には白い衣を着た若者が座っていた。
この、右手に若者が座っていた、という記事に、目撃情報の信憑性を感じます。
すでに彼女たちは驚きで口も利けません。 あの若者は「驚くことは無い」と言いますが、「恐れるな」「驚くな」と聖書で言われる時は、動揺して当然な場面がほとんど。
若者は彼女たちが何も言わないうちに、彼女たちがイエスを捜していると知っていました。あの方は復活なさった。ここにはいない。イエスがガリラヤに行く。行けば会える、
と弟子たちに伝えなさい。イエスの側から逃げ出した弟子たちとは違い、彼女たちはイエスの十字架を見届けました。墓の前で見聞きしたことに、婦人たちの気持ちも理解もついて行きません。彼女たちは震えあがり、平常心を保てませんでした。
彼女たちは墓を出て逃げてしまったのです。
 詩編118篇は救われた者が主を讃える、凱旋の歌、勝利と感謝の歌です。
攻められ傷みつけられたイスラエルは、この詩編で主を信じる一人の人として感謝と賛美を捧げています。主は彼らの砦となり、イスラエルは多くの試練の中でも滅ぼされず生き永らえました。主はイスラエルを守り、彼らの中から救い主は人として誕生しました。
この賛美はイースターの朝、復活されたイエス・キリストが、神に向って捧げる賛美として読むこともできます。主イエスは神のご計画通り復活されました。イエスを死と滅びの中から甦らせた神は、イエスによって救いの門を開いて下さいました。
118篇27節 祭壇の角のところに、いけにえを綱でひいて行け、とあります。
角のある祭壇は、神殿の至聖所にあります。神殿の聖所と至聖所を隔てる幕が至聖所の幕は人間である祭司が出入りする聖所と、年に一度 神に選ばれた祭司が捧げものをする神の領域である至聖所。イエスが十字架上で息を引き取った時、この幕は真っ二つに裂けました。イエスの犠牲の死は、聖なる神の領域に受け入れられました。
 逃げて行った婦人たちはそれぞれの家に帰り、自分たちが経験したことを思い出す時が来ました。彼女たちがイエスの墓に行った時、彼女たちには墓をふさぐ大きな石を
取り除く方法はみつかっていませんでした。たとえ石を動かしイエスの遺体に香料を塗ることができても、彼女たちの主が死んでしまった、という事実は変わらない。
悲しみと絶望の中、彼女たちは自分にもできることをするために、墓に行ったのです。
けれど、大きな石はすでに転がしてありました。
あの日、墓は空でした。十字架に架かった主イエスは、すでに復活していました。
十字架によって終わってしまったイエスとの関係は、復活によって回復する。
主イエスが復活し、死にも滅びにも留まっていない。婦人たちはマルコに証言しました。
彼女たちの証言によって、いま、私たちはこの福音書を読むことができるのです。
マルコの記録を読んだ人々は、復活のイエスが何をされ、何を言われたのか、目撃者たちの言葉を集め記録しました。マルコの福音書に書き足した人たちも、マタイもルカもヨハネも書きました。イエスは復活し、マグダラのマリアも、弟子たちも、イエスに会いました。
神と私たちを隔てていた 私たちの罪は赦されました。
墓の入り口の石が転がり墓が開いた時、復活されたイエスは私たちに復活の希望を与えて下さいました。大きく開いたイエスの墓は、もう死の象徴ではありません。
主イエスを信じて罪赦された私たちに与えられた、復活と永遠の神の家への希望を表す
天の門が、開かれたのです。
お祈りいたします。