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「見える わかる」

 

 目の見えない人が、イエスの所に連れて来られました。祭司や預言者が来ると手を置いて神の祝福を祈ってもらう。それは旧約聖書の時代から続く習慣でした。特に病気の人、障害を持つ人は神殿に詣でることができないので、聖職についている人が来ると、祈ってもらうチャンスを逃さないように、誰かにその人の所へ連れて行ってもらうのです。

 触れて祈って頂くために。するとイエスはその人の手を引いて村の外に連れ出しました。

 これまでもイエスはいろいろな人の病を癒して来ました。耳と口の障害 聾唖の人、自分では歩けない寝たきりの人。連れて来た病人たちが癒されると、人々はイエスに口止めされてもどんどん言いふらし、イエスのうわさはどんどん広まりました。

今回イエスはこの癒しの業を村の外の道端で、その人と自分たちだけの所で行いました。

そしてその人が癒されると「この村に入ってはいけない」と言って家に帰らせたのです。

 この癒しの後の記事でイエスは弟子たちに質問をし、答えを聞くと ご自分の事をだれにも話さないように、と弟子たちを戒めました。イエスと目の見えない人との対話も、

イエスと弟子たちとの対話もどちらも 彼らの会話や様子に目を向ける人々は側に居ません。イエスは相手と個人的に限られた関係の中で対面し、最後に彼らに禁止事項を伝えました。目の見えない人との会話と、弟子たちとの会話、両方を見ましょう。

 出会ったとたん、イエスはただ祈るのではなく癒すためにその人を村から連れ出し、目に唾をつけその人の肩でしょうか頭でしょうか 手を置いて祈りました。そして聞きました。

「何か見えるか」するとこの人は少し、見えたものを説明しました。

「人が見えます。木のようですが歩いているのがわかります。」それを聞いて、イエスは今度はこの人の目に手をあてました。多分、両手で彼の左右の目をふさぐように。

すると彼は今度こそ、はっきり見えるようになりました。

 盲人の癒しのあとで、イエスは弟子たちに人々のうわさを聞きました。「人々はわたしのことを何者だと言っているのか?」弟子たちが聞いていたのは「洗礼者ヨハネが生き返った」説と、「預言者エリヤが現れた」説でした。

人々は「イエスが病を癒した」「何千人もの人を満腹させた」という話を聞いて、

「たぶん、預言者か何かだ」と大雑把に捉えていました。まるで目が見えても動きが無ければ木か人か、区別がつかなかった盲人のようです。

 イエスは、今度は弟子たちに彼ら自身がイエスを何者だと思っているかを聞きました。

するとペトロが答えました。「あなたはメシアです」 メシア。キリストをヘブライ語で言う言葉です。神から遣わされた救い主、神が選んだ王を意味します。ペトロの答えを聞いた

イエスは、ご自分の事をだれにも話さないよう戒めたと書いてあります。「話さないでね」ではなく「決して話してはいけない」と言ったのです。目が見えるようになった盲人に

「この村に入ってはいけない」と言われたのに似ています。なぜ、イエスは弟子たちに

ご自分について話すことを止めさせたり、盲人が村に入ることを止めたのでしょう。

盲人と弟子たち。彼らが見えているもの、見えていないもの。イエスはそれがわかっていて、彼らが村の中、人々の中に入っていくことを止めました。

彼らは何が見えなかった、わからなかったのでしょう。

 旧約のきょうの箇所には有名なシェバの女王が出て来ます。極めて大勢の随員を伴い、

らくだに荷物を積んで。当時、らくだは創世記の時代から商人などが荷物を運ぶために用いていましたが、多くのらくだを家畜として飼い慣らし、使いこなす女王の国の技術、長い

旅路、多くの財宝を運んできた一行の警備体制、そして何の不安も疑念も無く、女王と大勢の部下が国を離れられる政治的な安定。この外国の女王が、とても有能で知恵も権力もある方だったことを、列王記は短くまとめて書いています。

 さっと読むと、まるでイスラエルとシェバの財宝比べのように見えてしまう箇所ですが、

女王が見ているのはソロモン王の富だけではありません。

女王が時間をかけて準備した質問に、ソロモン王はすべて答えました。そしてソロモン王は宮殿や神殿を隠さず案内しました。女王はソロモンの知恵と食卓や神殿の捧げものの整え方、給仕たちの仕事ぶりや装束の整然とした様を見ました。女王の言葉に、権力の中枢にいる人の目の付け所、判断箇所が見られます。女王はソロモン王の知恵や事業実績を褒めていますが、ソロモン自身だけを褒め称えてはいません。

「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです」  女王はソロモン王とイスラエル王国を支え導く、主なる神の威光を見ています。

主なる神が如何にイスラエル王国を愛しているか。国を治めるためにソロモンに与えた知恵が如何に細やかで、行き届いているか。そして主を信じ主に従う信仰がイスラエル国民にも与えられていて、この国が信仰によって整えられている、神の力の素晴らしさを見ました。

13節ソロモン王は女王が願うものはすべて与えた、とあります。後にエチオピアと呼ばれる女王の国には、王の後継者にソロモンの子孫がついた伝説があります。

そして、この国には主への信仰が根付きました。使徒言行録8章でエチオピアの女王の宦官がフィリポから洗礼を受けた記事があります。ソロモンの時代から受け継がれた主なる神への信仰は、あの宦官によって主イエス・キリストの十字架と復活に繋がりました。

 ベトサイダで癒された盲人がイエスに「村に入るな」と言われたのは、目が見えるようになった彼が、まだ見えなかったころの暮らしにらないためでした。与えられた信仰から離れてしまわないよう、家で今と以前を思い返す時間を持つように、というイエスの教えです。

主イエスがメシアであると誰にも話すな、と言われた弟子たち。彼らはまだ主イエスを理解していませんでした。

 見えるようになっても、ぼんやりとした視界しかなかった盲人の目を、主イエスはその

両手で一旦塞いで癒されました。主イエスは後、両手に釘を打たれ十字架で死なれました。

弟子たちは見えなかったあの盲人のように、もう一度、主イエスの手を経験しなくてはなりませんでした。主の死という絶望を乗り越えて、弟子たちは復活の主に出会います。

 復活の主は弟子たちに大宣教命令を残しました。

マルコによる福音書16章15節「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」完全に見えるようになった彼らが、ようやくわかるようになった福音を宣べ伝える時が来ました。この福音を私たちも受け継いでいます。賛美しつつ進んだあの宦官のように、信仰と霊と主の愛に満たされて宣べ伝えて行きましょう。

お祈りいたします。