きょうのマルコ福音書はイースターの1週間前に読まれる箇所です。まだだれも乗せたことの無いロバの子に乗って、イエスは城壁で守られた町エルサレムに入城しました。
イエスのエルサレム入城は、王の即位式の行進のようでした。ロバの子が歩きやすいよう、自分の上着を脱いで道に敷く人、町の外の野から棕櫚やナツメヤシ、柳など、葉のついた木の枝を切って来て敷く人、エルサレムの石畳の道にたちまち、結婚式や表彰式、国際的な映画祭などで現代も見かけるカーペットのように、柔らかく覆われた道が現れました。
人々が叫んだ「ホサナ」は「主を賛美せよ」という意味で使われますが、もとは
「主よ いま救って下さい」という祈りの叫びです。人々は思ったのです、メシアがエルサレムに入られた!神の子が神の都に入られた!とうとう待ち焦がれたイスラエルの救いの時が来たのだ。自分たちの国を取り戻し、ローマからも他のどの国からも支配されない、イスラエルの王国の再建の時が来たのだ、と。
ロバの子に乗るメシアついて、旧約聖書ゼカリヤ書9章にこう書いてあります。
「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子で
あるろばに乗って」これは救い主メシアの到来を預言した箇所として有名です。
イエスが子ロバに乗ってエルサレムに現れたことは、メシアとしてのご自身を現わされたと
考えられています。イエスは人々の声に応えることもなく、静かに進まれました。
エルサレム入城からちょうど六日後、イエスは十字架に架かられました。私たちは人々が
ホサナの声で迎え入れたイエスに、ローマ総督の前で「十字架につけよ!」と叫んだことを知っています。人々も祭司長も律法学者も、十字架上のイエスを「本当にメシアなら、自分自身を救って見よ」とののしったのです。
きょうの旧約聖書ミカ書も、メシア預言の有名な箇所です。
ここに戦う3種類の人が出て来ます。①小さな町ベツレヘムから出るイスラエルの真の統治者、②アッシリアやニムロドの国バビロンと戦うイスラエルの牧者や君主たち、③ヤコブの残りの者またはイスラエルを治める者の兄弟の残りの者と呼ばれる人たち。
4節5節で「我々」と名乗るのは、②。昔のイスラエル王国を経験し、やがてアッシリアによって母国を失ったイスラエルの人々です。ミカは北イスラエルの人々と王たちの戦いを見ていた預言者です。牧者や君主の人数=7と8は、完全数。彼らが徹底的に頑張って戦ったことを表します。「彼らが救ってくれる」という人々の期待も空しく、北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅亡、更に134年後 588年南王国もバビロンにより滅亡しました。
ベツレヘムの町で1人の赤ちゃんが生まれる時まで、救いを求める人々は「捨て置かれた」とあります。エフラタとはベツレヘムに住んでいたユダに属する少数民族の名前です。ベツレヘムにはゼブルン族の住む地域もあって、区別するためにベツレヘム・エフラタと書きます。エフラタ族にはルツ記のエリメレクとナオミ夫妻、ナオミの嫁ルツの夫ボアズ。
そしてエッサイとその子ダビデもこの民族です。後にマリアの夫ヨセフもここで住民登録しました。そしてイエス・キリストはベツレヘムで生まれたのです。
イエスこそ神から遣わされた真の牧者で、神の力、神の名によって群れを養う方です。
イエスが世に来られ、彼に従う者たちが現れました。イエスを救い主と信じ、イエスの
十字架と復活によって救われ、神の民イスラエルに加えられた者。③のイスラエルの残りの者はキリスト者、クリスチャンと呼ばれる人たち。つまりいま、主を信じて礼拝している私たちが、ミカの言う「ヤコブの残りの者」です。
ヤコブの残りの者は、剣によって戦ったイスラエルとは違う戦い方をする、とミカは言います。人の力に望みを置かず、人の子らを頼りとしない。キリストによって神の民となった者たちは、「人間力」ではなく「神の力」で戦うのです。
イスラエルの君主たちのように華々しく現れるのではなく、まるで夜露が降りるように、
静かに草原を潤す雨のように静かに穏やかに、多くの民族の中に居るのです。
日本はクリスチャン人口が1%をなかなか超えない国。私たちは日常、「わたしはクリスチャンです!」と言い歩くことも無く、静かに当たり前に人々の中にいます。こんな私たちも、確かにあの日、ホサナ!の声で迎えられたキリストが十字架で命がけで救い出し、神の民に迎えて下さった者なのです。
ミカ書5章7節で、ヤコブの残りの者の力は若獅子=若いライオンに例えられています。
私たちは主に在って強いのです。十字架の主は私たちに絡みつく罪や死の力を滅ぼし、
永遠の命を与える力がある方です。
人類はこれまで幾度も戦いを経験し、恐ろしさ愚かさを知っています。戦争はいけない。武力を使ってはいけない。話合いで解決するべき、と、昔からどの民族・どの国・どの地域でも言われてきました。しかし、2022年の今、私たちは戦争のある時代を生きています。
平和は手に入れ難い、人類が夢に見る幻のようなものでしょうか?
地球上の全人類が私たちの主なる神の民だとは言えません。けれど、
預言者ミカが 彼こそ、まさしく平和である。と言った方は、全人類に命と希望を与えて下さる方です。
この方が全人類に平和を与える力があると、私たちは心から信じて祈っているでしょうか?
主はご自身を信じ従う者たちに、神の国の民としての平安と喜びを約束されています。
主は神の国だけでなく、天地万物を統治する方です。主は戦い滅びたイスラエルの民を再び呼び出し、今に至る迄 守り、導いておられます。主は長い迫害と試練の中でも、キリスト教徒たちの信仰の火を消すことなく、生かして用いて下さいました。
主は私たちの祈りを聞き、ご自身の霊である聖霊によって、私たちに力を与え、全世界へ御言葉を運ばせて下さる方です。
私たちの神は平和の主と呼ばれる方。 御力を信じて、祈りを積みましょう。
お祈りいたします。
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