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「恵みの賜物」

 

創世記9:8-17、ローマの信徒への手紙5:12-21      中村文子
 聖書で人類の祖先の最初の人はアダムです。神に背き罪を犯したアダムとエバ。
なぜアダムが罪を犯したのか。自分たちに何が良い事で何が悪い事かを教えて下さる神に彼らは憧れていました。彼が食べたのは善悪を知る木の実。この実を食べれば自分たちも判断力を持つことができる。神様のように成れる。そう思ったのです。人間は神に造られた者なのに、神に逆らい、神のようになろうとしました。これが人間の持つ原罪 根源的な罪です。
罪を犯したアダムは死ぬ者 命の限界がある者となりました。彼も彼の子孫=人類も、生まれた時から罪を持ち、肉体にも魂にも限界を持つ、永遠の死:死んだ後 神から完全に引き離され滅ぶ運命に定められたのです。
 ローマの信徒への手紙が書く罪と律法。律法が無ければ、罪は罪と認められない。それは
アダムが木の実を食べて罪を犯したのと同じです。神が禁じたので無ければ、アダムがどの実を食べても、罪になりません。
律法は、神が定めた決まり事=掟です。十戒を始めとする律法は聖書の始めの5つの書物に書かれています。律法が~しなさい、~してはならない、と定めているから、何が正しく何が間違っているか、判断することができるのです。
 アダムもイエス・キリストも地上で1人の人として生きました。イエス・キリストとアダム。ローマ書は二人の共通点として、彼らの行った事=業が全人類に大きな影響を及ぼした事をあげます。アダムの罪が人間に与えた運命:人は生まれたからには、いつか死ぬ。生きている人で死を経験した人はいません。死の経験談は誰からもを聞くことができません。誰にとっても未知の、何が起きるか予想できない大きな謎。それが死です。死という運命。そして私たちの人生がいつ、どのように終わるか私たちにはわからないこと。アダムの罪が、全人類を死の恐怖で支配しました。 ローマ書5章21節に、この恐怖とは正反対の言葉があります。
「罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」
イエス・キリストは神の子であり、天地万物が造られる前から、神の言葉として神と共に居られました。神であるイエス・キリストが、人となってこの世に生れ、十字架に架かって死んだ。それは、私たちを罪から解放するため。アダム以来、私たちが犯してきた数々の律法違反。
たくさんの罪から私たち人間を救い出すため、と聖書は書いています。
イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」と呼ばれました。
律法の規定で罪を犯した者、汚れた者が捧げてきた生贄の小羊は、神と人の間を引き離す人間の罪の汚れを、完全に清めることはできませんでした。
人間の罪を羊で贖うことはできなかったのです。
私たちが十字架で罰を受けるかわりに、神の子イエスが人となって十字架に架かって下さいました。アダムと同じ人間として、でもアダムの子孫ではなく 罪も汚れも無い神の子として、十字架を祭壇として、神の子が生贄の小羊としてささげられたことによって、全人類の罪は赦されました。イエスの十字架によって神の子を代価として、私たちは神のもとに買い戻されました。イエス・キリストの十字架という恵みの賜物が、人間の罪を有罪から無罪にかえました。
アダムの罪は死によって全人類を支配しました。罪が赦されても、人間は死ななくなるわけではありません。イエスの十字架は、この世で生きる命と生涯の終わりに迎える死の意味を大きく変えました。イエス・キリストは死んだ後、
復活されました。イエスを信じる私たちにも、神は復活の希望を与えられたのです。
死んだ後、滅びて永遠に神から引き離される運命から救い出された私たちは、死を通り抜けた先に、神の国で神と共に永遠の命を与えられるのです。
 死を恐れる必要は無くなりました。私たちの肉体の命が終わっても、私たちは神の国に復活する喜びが約束されているのです。
創世記でノアが神から受けた約束は、今の私たちにも有効です。ノアたちと箱舟が経験した
大洪水の後、神はノアとその子々孫々に向けて契約を立てて下さいました。
 聖書でも私たちの日常生活でも、契約は、お互いの権利や義務を確認するために行われます。
契約を立てることで、お互いの合意した内容が明確になります。誤解や行き違いを防ぎ、お互いの信用を守り、取引をスムーズにする。本来、対等な関係で結ばれるのが契約です。
神がノアたちと結ばれた契約も、イエス・キリストを通して
結ばれた、血の契約も、神がご自分の側から人間のところまで降りて来て下さり、人間と対等に契約を結ぶために目線を合わせて下さったのです。
 神はこの契約のしるしとして雲の中に虹を置く、と、ノアに向って約束されました。
神ご自身が虹を見る度に、この契約を心に留める、と言われました。
神は忘れることは決して無い方。でも人と目線を合わせて、契約の虹が 神ご自身にも、
私たち人間にも、この契約を思い出すために役立つ、と言われたのです。
 虹を置く、と言われた雲は大気中にかたまって浮かぶ水滴や氷の粒でできています。
虹は雲の中の水滴を通して太陽の光を七色に拡げ、私たちの目に美しい色を見せます。
虹は光からできているのです。宇宙のどこでも、水や水のように光を屈折させるものがあれば、光は美しい色を見せて輝くのです。空でなくても、水が撒かれ水蒸気が立つ場所には虹が現れます。
 神が光を与えて下さる場所で、私たちは美しい虹を見ることができます。
大洪水で多くの死や滅びを見たノアたちに、神は虹の約束を与えました。
キリストの死と復活によって主の御霊を与えられた私たちは、心に神の光を受けています。
光のあるところに虹は現れます。
 イエスの恵みは、まだ全人類に伝わった、とは言えません。今も死と謎に満ちたその後に
ついて、恐や悩みから抜け出すことの難しい人は多いのです。
光りを伝えましょう。約束の虹を示して、恐れを消しましょう。
アダムの罪を悲しみ、イエス・キリストを遣わしてまで私たちすべての人間に命の希望を与えて下さる神が、私たちと目線を合わせて、確かな約束のしるしを見せて下さるのです。
お祈りいたします。