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「主の権威の下に」

 

 パウロがこの手紙を書いたころ、すでにイエス・キリストの十字架から50年近い年月が
過ぎていました。信じていれば死んでも生きると聞いていたのに。
誰も復活しない。あれは嘘だったの?キリストを信じた人々ですでに死んだ者たちも多く、
私たちもキリストと同じように復活するのだ、と思っていた人々は、生き返って来ない信仰の先輩たちの死に、動揺していました。そんな人々にパウロは書きました。
「一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。」 
 この手紙がどんな時代に書かれたかは、15章30~32節から読み取れます。
「なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。兄弟たち…わたしは日々死んでいます。 単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。」 この時代のローマ帝国では、10~20年ほど間を開けて、しばしばキリスト教迫害が起こっていました。いつ迫害が起きるかわからない中、キリストを信じることは危険でした。野獣と闘う とは、大きな町の円形競技場などで、飢えた獣たちの前にキリスト信徒たちが送り込まれ、その様子が町の人々の娯楽として見世物になっていたことを言っています。
パウロたちが多くの人が神の国への希望を持ってほしい、とイエスの福音を宣べ伝える伝道は、命がけでした。
 信仰を理由にした迫害は現代日本ではローマ時代のようなことはありませんが、病気や感染症、事故、災害など、命の危機は、今の私たちにも無縁ではありません。
心の平安や救いを求めても。人々は本当の神とニセ宗教を見分けなければならず、希望を持つことも簡単ではない時代です。 私は独り暮らしですので、病気やけがで動けなくなったら、という不安はあります。役員会で毎年、教会堂と牧師の安全のため、教会の鍵を預かる方決めてもらうのも対策の一つです。
現代の私たちは「ローマは一日にして成らず」という言葉を知っています。あの言葉は
ドンキホーテを書いたセルバンテスの言葉と言われていますが、強大なローマ帝国でさえ、今の繁栄を手に入れるまでに何百年もの年月がかかったのです。キリストの福音も、伝えられれば
すべての人が信仰を持つ というわけにはいきません。
私たちはイエスの時代、イエスと会って話をした人たちを羨ましく思います。でも、イエスの
十字架を見ていた人の中でも、イエスを神の子と信じた人はほとんどいなかったのです。
信じてから死んだ人たちが誰も生き返って来ないのもその通り。   
でも思い出して下さい。
イエスが十字架に架かった時「イエスは何も悪いことをしていないのに十字架に架かっている」と言った 隣の十字架の罪人が、イエスに何と言われたか。
『「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。』
イエスは彼に「あなたもわたしと一緒に地上に戻って来る」とは言わなかったのです。
イエスの福音を受け容れて死んだ人々も、あの罪人のように新しい命を与えられ、
行くのは神の国 楽園なのです。
 サムエル記下のきょうの箇所で、ダビデはイスラエル王国を統一しました。
サムエル記上16章でダビデは神に王になる者として選ばれ祭司サムエルを通して油注がれました。きょうの5章までに、ダビデがイスラエルの王になることを妨げる人々は死に、
イスラエルは指導者のいない群れとなりました。
 人々はダビデに、「わたしたちはあなたの骨肉です」と言いました。私たちはあなたと同じ
民族です、という宣言です。彼らはダビデを自分たちの指導者として認め、主なる神が選んだダビデを、自分たちも王として望む、と言ったのです。ダビデが主なる神と共に 主の力で
戦い、人々を指導者してきたことを、共に戦って認めたのです。
 イエス・キリストはダビデの子、と呼ばれます。ダビデの王座を継ぐ者、と言われます。
でも、ダビデよりももっと前、アダムとその妻に対して、主なる神は約束されています。
人間として地上に生れる者の中に、罪と悪を砕く方が現れる、と。
 「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられた。…アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」 死んだら終わりではない。何をしても死んだら何もなくなるのではない。
パウロが15章3~8節に「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと…三日目に復活したこと…十二人に現れ…次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れ…そして最後に…わたし(パウロ)にも現れました。」と書いたように、
イエス・キリストの復活は事実なのです。
 4つの福音書が書いたイエス・キリストの復活は、最後の敵 死への勝利の始めです。
聖書を学ぶ者たちは、私たち主イエスを信じる者の群が「すでに」勝利されたキリストと共に「未だ」完全に服従しきっていないこの世との闘いの中に居る、と言います。
 パウロは私たちの味方に付いて下さった方の守備範囲が誰よりも大きく広いと知っています。
救い主イエス・キリスト神の御子に従うなら、私たちはもっとも大いなる方の側につくのです。
「すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に
服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。」
十字架で死なれたイエスを救い主として受け入れた時から、
これまでも、きょうも、世の終わりまでずっと、私たちを愛し、守り、共にいて下さる方です。
お祈りいたします。