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「その国が来る」

 

 イエスは30歳の時、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、神の国を伝える働きを始めました。マタイによる福音書4章17節では「悔い改めよ。天の国は近づいた」。
マルコによる福音書1章15節では「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言う言葉でイエスが語り始めた、と書いています。近づいたと言われると、何かが自分の側にぐいぐい寄って来て隣に座っているかのように感じます。でも この 近づくは、距離ではなく時間的な近さ。クリスマスがやってくる、2023年がやってくる と似ています。
 神の国が来るとどうなるのか。イエスは旧約聖書イザヤ書から、ご自分が何のために神から遣わされたのかを語られました。「貧しい人に福音を告げ知らせるため、…
捕らわれている人に解放を 目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるため」
聖書が言う貧しい は、その人にとって、必要なものが手に入らないこと。いま、戦いの中の方々は いつ爆発が起きるかという不安の中にいます。仕事を失う、収入が絶たれる、たとえ住む所があっても 経済的・物理的なことだけでなく、人間関係が壊れていたり 信頼関係が出来上がっていない時も、
安心・安全とは言えない。それも貧しさ です。
 捕らわれている。それは私たちの体が縛られ、どこかに閉じ込められている状態 だけでなく、
どうしても 心配、嫌だ、悲しい 悩ましい思いから抜け出せない時、私たちは捕われています。
目が見えない、圧迫されている も、ここでは 障害ではなく 貧しさの例えです。
 人間関係が解決し、私たちを捕らている問題のすべてに解決の時が来た!とイエスは言います。
福音を告げ知らせるために。福音とは良い知らせ。解放、回復、自由 そして恵みの良い知らせを伝えるためにわたしは来た、と イエスは宣言されたのです。
 イザヤ書55章は、不思議で夢のように前向きな約束が溢れている章です。好きなだけおいしい水を飲みなさい、食べなさい。その権利を与えられる人に、所得制限なんてありません。貧しくても大金持ちでも、渇いているなら、飢えているなら。食べ物 飲み物 ばかりか、命さえも 与える約束をする方。
この方は、わたしに聞き従うなら、良いものを食べ、豊かさを楽しみ、命を得られる。その約束を永遠の契約として結ぶ、と言われます。ダビデを諸国民の指導者、統治者としてのはわたしだ、と言われる方。
ダビデはイスラエルの伝説の王、イスラエル王国の神に愛された王ダビデ。
イザヤ書55章の豊かな呼び掛けは神が語り掛けているのです。
 「わたしに聞き従って 命を得よ」という神の言葉を取次いだ預言者イザヤは、あなたの知らなかった国、と語ったすぐあと、主を尋ね求めよ、主に立ち帰れ、と教えています。
イザヤを通して 「あなたはあなたの知らなかった国に呼びかけ、その国はあなたのところに馳せ参じる」
と語られたのは、神である主 イスラエルの聖なる神です。
イエスの 神の国は近づいた と とても似ています。その共通点は、
神の国の主である方、神の国から来られた方が、神の国を語っている、という点です。
神の国から来た方、神の国を良く知り神の国を支配しておられる方が、神の国を語っているのです。
あなたは知らなかった国。そう、私たちは主なる方から教えられなければ、神の国は知りません。
イエスは 解放・回復・自由・恵みを語り、あなたがたが耳にした時、この言葉は実現した。
「その国はあなたのところに馳せ参じる」
主に立ち帰る者に神の国は、自分から 神の国の方から、急いで走ってやってくる。
それがイエス・キリストを遣わした主の福音なのです。
 イエスの十字架が私たちの罪のためだ、と信じた時、罪赦され清められた私たちは、永遠の命を頂き
神の国に行くことができる。それは遊園地の入場券のような、一時、楽しく過ごす権利、ではありません。
神の国に、主イエスと共に神の子として、永遠に住まうのです。これまで知らなかった神の国に、
入れるだけでなく、神の国の民として市民権を持つ者。神の家族となるのです。
 私は以前、世田谷区に住んでいました。世田谷区と小岩=江戸川区は同じ東京都。でも…世田谷も横浜も千葉も、生活すると小さな違いは沢山あります。だいぶ慣れだいぶ知りました。もちろん、外国でも
他の県でもない。同じ都内でこれです。ましてや 地上と神の国で同じはずはありません。
 法律や制度が変わる時、私たちは、自分の生活にどんな変化が起きるのか まず学びます。
消費税導入は1989年平成元年でしたね。裁判員制度の時も学びました。18歳成人?それぞれ考える時間は必要ですね。
 神は預言者を通して考え想う学びの時を下さいました。
イエスが「実現した」と言う解放・回復・自由・恵み。それは神の国の現実です。
私たちのために、私たちの知らない、行ったことも見たことも無い神の国が すでにやってきました。
 イザヤ書55章11節、神の口から出る言葉は 必ず 神の望むことを成し遂げ、使命を必ず果たす、
と 書いてあります。世の始めの時、神は言葉によって天地万物を創造されました。
神の言が、イエス・キリストである、とヨハネによる福音書は書きました。
イエスは、神の御計画通り、私たち人類に神の国の市民権を与え、神の家族とするために、自ら世に降り、十字架に架かって下さいました。
私たちがまだ知らず、気付かないうちに 神の国を開き、迎え入れるために。
神のまま 強く何でもできる方として ではなく、弱く小さな人間の赤ちゃんとして、生まれて下さった。
貧しく飢え渇く私たちのため、救いの計画のすべては、私たち主導ではなく神 主導です。
私たちのすべてに 輝きを与えて下さる主の誕生を祝う季節がやって来ました。
私たちも あの羊飼いのように駆けつけましょう。
「あなたを知らなかった国はあなたのもとに馳せ参じるであろう。あなたの神である主あなたに輝きを与えられるイスラエルの聖なる神のゆえに」
お祈りいたします。