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「聞き 納め 育てる」

 

 わが子よ、わたしの教えを忘れるな。箴言3章を12節まで読むと、どこかの家の親子の話ではなく、主なる神が私たち人間に向って話しかける言葉なのだとわかります。
かわいい息子を懲らしめるように、主は愛する者を懲らしめる。主なる神の教えを心に納めれば、あなたの生涯の日々は増す。神の愛と真実とを首に結び、心の中の板に書き記せ。
 似た言葉が申命記にあります。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、 子供たちに繰り返し…語り聞かせなさい。 更にしるしとして自分の手に結び…額に付け、 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」神はイスラエルの民に、律法を守るよう教えました。
アブラハム・イサク・ヤコブの神を自分たちの神とし神の民となる。主なる神はいつも彼らを導き、神ご自身が民を導かれました。自分たちを守る神の大きな力を知った民はシナイ山で主なる神と契約を結び、律法の小箱を自分の身に着け、家の戸口の柱や門にも書き記しました。
父が子に教える主なる神に従う生き方。そうすれば、神からも人からも認められ成功する。そうすれば、あなたはまっすぐ 迷わず生きることができる。そうすればの3つ目、あなたの筋肉は柔軟になり、骨は潤される。これは信仰を人体にたとえています。運動の前には、準備が必要です。体が温まらないうちに激しい動きをすると、アキレス腱を切る などの事故が
起きることがあります。十分に栄養をとり運動する習慣が無いと骨粗鬆症になってしまう。
箴言は「そうすれば」の前に「自分を知恵ある者と見るな」と言います。謙虚に聖書を読み、聖句を思って生活する。すると身体があたたまり骨が強くなるように、魂に力が入り、神の導きを感じる時が増えていくのです。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず、自分の魂の筋肉を和らげて 骨を丈夫にして頂きましょう。
 ルカによる福音書8章は、教会学校でもよく使われる「4つの種」のお話です。
道端、石地、茨の中、良い土地。これは人間の心の状態を表す、と教えられます。
イエスが、種は神の言葉だ、と教えて下さいました。 特に道端を、「世の中の神の言葉を聞かない人たち」と思いがち。でもこれはみんな、イエスの前にいる群衆。聞きに来ていない人は例えの中にいません。ぜんぶ、いま礼拝している、私たちの心の状態を表しています。
 道端に落ちた種は、踏みつけられ空の鳥が食べてしまう。コロナ禍で普及したリモートに、
この恐れがあると言われます。互いに相手の体温を感じない環境は、「ながら」の状態になりやすい。ただ、リモートだけがそうとは言えません。心が旅に出ていたら…御言葉は心に納まらず、風に飛ばされてしまうかも。
石地の種は、根をはることができず枯れる。「いいな」と思っても心に納まらず、育たない。石地は堅いのです。箴言が言う「筋肉の柔軟さ」が無いまま。急な運動をする人のようです。
困った時、急いで助けを得ようとあわてて開く聖書は、文字の上で目が滑りなかなか理解できない。それは、誰にでもあることなのです。
私たちの心は茨の地のようかもしれません。情報が嵐のように降り注ぎ、もっと知りたい
メモする、保存する。学びたい育てたい気持ちがひしめいて、全部の世話はできない。
他の植物に邪魔され栄養をとれない。植物は太陽の光で光合成して、栄養にしたい。でも茨に邪魔され当たらない。ちょうど良い時期に気づいて、植え替えられれば育つこともあります。枯れる前に周りの植物を除去できたら。
どんなに花が可愛らしくても、それは要らない。育てたいのはこれ。
神の言葉を選び手の中の沢山のメモを一旦、脇に置きましょう。
 家を建てる土地。畑に向く土地。水田用の土地。「良い」土地とは準備された土地。
石やゴミや他の植物の根を取り除くために掘り返し、用途に合わせ整えます。幾度も収穫をした土には養分を加え、良い状態になるまで放置することもあります。
次々学び知識を蓄える人、種々の所で働き経験を積む人。人間にも「整え」の時があります。
種が力を最大限に発揮し、根を張って大きく育つ。土地が持つ栄養も陽の光も。
御言葉も知恵もすべて受け止め、自分の中に取り入れ、納め、そして育てる。
主イエスは百倍の収穫を語りました。それはとても大きな恵みですが、
皆に見えるものでは無いかもしれません。
 良い土地に落ちた種は「立派な良い心で御言葉を聞いた」とイエスは言われました。
私たちは 立派になんて成れない。無理。と思ってしまいます。
「立派」という言葉を自分に、それも自信を持って使った人がいます。
テモテへの手紙Ⅱ 4章でパウロは「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。 今や、義の栄冠を受けるばかりです」と言いました。
パウロが生きたイエスの十字架の後の時代、イエスの福音を神の言葉と信じるキリスト教徒は、
幾度も激しい迫害を受けました。 ルカが福音書を書いたのは、その迫害 真っただ中の時代でした。ルカと同じく、人々の信仰を励まそうとしたマタイも、イエスの言葉を福音書5章に
書き残しました。「喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも…迫害されたのである。」
パウロやルカやマタイの時代のように、イエスを信じる信仰が命がけの時代もありました。
情報も責任も、一旦 そこに置く。それは決して簡単なことでは無いでしょう。
私たちの魂に、主は種を蒔かれました。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を
結ぶ。」箴言の父の言葉のように、私たちには神の言葉を聞く、柔軟な筋肉が必要です。
「主はあなたの倉に穀物を満たし搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる」
「御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たち」
種を納めることのできる、良い土地を整え、その芽を大切に育てましょう。
お祈りいたします。