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「成し遂げる方」

 

 使徒たちは帰って来た。イエスの使徒たちはイエスから離れて出かけていたのです。
9章のはじめ、イエスは使徒たちを呼び集め、彼らにご自分の力を 悪霊に打ち勝ち、人々の病を癒す力を分け与えました。彼らに、村々で神の国の福音を宣べ伝えるため遣わしたのです。 
イエスの言葉や業にいつも驚き、喜んでいた使徒たち自身がその働きをしに行ったのです。
彼らが喜んでいたか興奮していたかはわかりません。イエスは彼らを連れてベトサイダに向かわれました。そこはガリラヤのペトロやアンデレの故郷です。彼らを休ませ疲れを癒そうとお考えだったイエスにも、使徒たちにも、休む間はありませんでした。
 イエスを捜して集まって来た人々。群衆の中には、使徒たちを慕って来た者も居たでしょう。町まではまだ遠い荒野で、イエスは彼らを迎え、語り、世話しました。
日が傾きユダヤの1日が終わるころ、12人の使徒たちは群衆を解散させましょう、とイエスに言いました。彼らみんなに食べさせ休ませるには、ここは人里から離れている。出エジプトの時のモーセと違い、群衆はまだ「食べ物が無い!」と騒いでいるわけではありません。
でも、男だけでも五千人。たいへんです。でも、イエスは使徒たちに言いました。
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」  使徒たちは言いました。
「わたしたちにはパン5つと魚2匹しかありません」と
言った使徒たちを、不信仰と考える人も多い。
ルカによる福音書では、彼ら自身が村々に行き、イエスの力で多くの人を癒して帰って来た、すぐあと 群衆と出会っています。こんなに沢山の人のためのパンなんて、買えません!と
文句を言っているようにも見えます。
 彼らは村々で経験しました。そこで出会った人たちに、自分は何ができるだろう?と、
考えたでしょう。聖書は彼らの報告の内容を書いていません。
私たちも初めて現実に向き合った時、感じるでしょう。ああ、自分には何にもできない、と。初めて母となり父となり小さなか弱い赤ちゃんを目の前に、それまでどんなに沢山の人生経験をしていても、目の前で泣くこの子に、どうしてやったらいいか わからない。
子どもの頃も、あったでしょう。一人で行ける。自分でもわかる。そう言って歩き出した道で、不安になってふと隣を見ても、いつも一緒にいてくれた お母さんお父さんはいない。
使徒たちはイエスに送り出され 何度も思ったでしょう。これまで自分は気づいていなかった。イエスと共に旅していた時、どんなに安心だったか。
 イザヤ書41章。イスラエルの民は不安の中にいます。自分たちは神に逆らい捕囚となった。神は私たちを異邦の民の中に捨て置かれた。主なる神はそんな彼らに、神ご自身が彼らの先祖と共に居られたことを思い出させ、繰り返し言うのです。
「わたしはあなたを固くとらえ、あなたを選び、決して見捨てない」「恐れることはない」
「わたしはあなたと共にいるあなたの神」 いま、どんなに願っても神殿も故郷も遠い。
生まれて初めてたった一人歩く道のように、イスラエルは恐れていました。自分たちは無力だ。
主は彼らに、あなたを「地の果てから呼び出す」、あなたに対して怒る者、争う者は滅ぼされ無に等しくなる と言われました。
  きょうの交読文 詩編46篇「万軍の主はわたしたちと共にいます。…主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる」 敵が武器を持っているか、国が大きいか、声が大きいか、力を目の前にすると、私たちは
恐れ、気持ちを弱らせ、元気を失ってしまいます。でも、イスラエルに、神を信じ従う者に神が共にいて下さる、と、イザヤも書いているのです。
主なる神がしっかり支える。地上のどんな強さも全宇宙を創り出し支配される方には勝てません。「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ…わたしはあなたを助ける」と言う方の前で、
どんな武器も無意味です。
現代の私たちと同じように弱く小さな民イスラエル。主は彼らを脱穀機にすると言いました。
硬い麦の殻を打ち、実ともみ殻を分ける脱穀機。主は彼らを用い山々を砕き丘をもみ殻のように吹き飛ばされる。山々とは異教の神の神殿であり丘は人々を見下ろす権力者、そして、
人々の前で高慢になり本来の自分を見ようとしない人々。人間に評価されない小さく弱い者を主は用いて、人の固い殻を 私たちの無意味な武器を粉砕されるのです。そして自分自身の
弱さ、無力さ、知恵の無さを知った私たちの味方は全能の神なのです。
私たちは 無力な自分たち自身ではなく、自分の味方がこんなに大いなる方だ、と
喜び誇って、共にいて下さる神に感謝し 祝いましょう。
 群衆に取り囲まれ、使徒たちは自分の無力を隠しませんでした。
「わたしたちにはパン5つと魚2匹しかありません」するとイエスは彼らに指図し、
人々を座らせました。そして 使徒たちのすべて パン5つと魚2匹を天の神に感謝し、
裂いて 大きな聖餐の座を開かれました。
使徒たちはイエスの言うまま、群衆に配りました。
その人々はイエスとその教えを慕い集まって来た人々。主は彼らを消して見捨てませんでした。
  きょうの交読文:詩編46編11節 「力を捨てよ、知れわたしは神。国々にあがめられ、
この地であがめられる。」 ここを文語訳聖書は「汝等しづまりて我の神たるを知れ」 
新改訳は やめよ、英語NIVは be still(置け 留まれ)と訳します。
 捕囚の民に、主は 争うな わたしがあなたを固く支える、と宣言しました。
使徒たちはイエスに自分たちの無力をさらけ出しました。
何もできない。自分は弱い。そう自覚した時「わたしは主、あなたの神。…恐れるな、
わたしはあなたを助ける」 と 繰り返し言う方に任せ 一旦 静まりましょう。 
詩編46編9節「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。」
すべての人が食べて満腹し、 配ったパンの屑は12籠もありました。
力づよい私たちの味方なる神は、豊かに私たちを満たし支える方です。
お祈りいたします。