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「安息と回復」

 

 

この日は安息日。イエスはファリサイ派でユダヤ議会の議員の人に招かれ家に入りました。

イエスも議員も、神殿で行われた礼拝に出席してきたところ。その食卓には、水腫を患う人もいました。水腫とは 浮腫とか むくみ とも言われ、現代では 心臓病や腎臓病の症状の一つと知られる病。日常生活ができないわけではありません。でも症状が重くなると行動するにも辛い。

現代なら食事制限なども治療に含まれます。他の人たちが楽しくリラックスして食事する中で、

この人は痛み苦しみを我慢していたのです。

「安息日に病気を治すことは律法で許されているかいないか。」この家の主人はファリサイ派。

律法を人々に教えいる人です。彼の仲間も居たでしょう。でも誰も動かない。ただ

「人々はイエスの様子をうかがっていた」。13章31節で彼らはイエスに「ヘロデがあなたを殺そうとしている」と警告しています。イエスを十字架につけて殺そうとする人たちの動きは始まっています。この人たちは水腫の人の苦しみよりも ヘロデ王に狙われているイエスを見張ることに関心が向いていたのです。

聖書で罪は、人間を神から引き離し永遠の滅びをもたらす悪の力とされています。

旧約聖書イザヤ書53章「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛み」とあるのは、罪は人の心と魂をむしばむ病であり、救い主は私たちの罪と言う病をその身に負う方である、という信仰に依るのです。

イエスは救い主だ、と言うと、聖書もイエスも知らない人からは「自分は救われなくてならないような状態には無い」と拒否されることがあります。あなたを救う、と言われても別に困って無いし必要ない、と。でも現代、誰でも 疲れや痛み苦しみを抱えていて、癒しや健康回復は多くの人が関心を向ける話題です。 イエスは「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた(マタイ9章36節)」と書かれています。彼らがイエスのパンや魚の奇跡で満腹して喜んだから だけでなく、彼らが罪を抱えて生きる病人だと知っておられたから。ローマの信徒への手紙3章に「正しい者はいない。一人もいない」という有名な句があります。

私たちはみんな罪人です。それは 赦されなくてはならない 悪人たちの群、だと同時に、

弱く 助け癒される必要のある、病人の群だ、とも言えるのです。

 出エジプト記23章は、安息の年と安息の日 についての記事があります。

神は私たち人間を最初から、額に汗して土を耕す者 として造られました。最初の人アダムは、

エデンの園で 土を耕し園を守る者として置かれました。人は土地を耕し種を蒔き世話をし、主は陽の光と雨を与えて作物を育て、私たちはその実りを得て生活します。

同じ土地で毎年、農耕を行うと 新しい土地よりも作業がしやすいのですが、畑の土は収穫物に栄養を吸い取られ、どんどん土地は痩せていきます。栄養を失った土は水はけも悪くなり、土地は砂漠化します。作物によっては連作障害と言って同じ土地で作り続けると実らなくなることもあります。土地を休ませず使い続けることは その土地を殺すこと。休閑が必要なのです。

日本の農耕地では休耕田をレンゲ畑にすることがあります。美しい可愛らしい花の野は美しい上に、

土に鋤きこまれたレンゲの花はその土地の栄養となるのです。

 ユダヤ人が賢くどの民族の中に入っても成功するのは、7日に一度 必ず休むからだ、と言われています。この説にはかなりの賛否両論がありますが、日本が昔 富国強兵を叫び 国民に休むことなく働くことを奨励し 月月火水木金金 と歌っていた時代があったことを聞いてきました。

休まないことは、殺すこと。過労死 と言う言葉が知られ、従業員を休ませない業態を「ブラック」と呼ぶ現代を待つまでもなく、聖書では 出エジプト記で 創世記の次に古い時代を記録した書で、

すでに教えられていたのです。

 休まず働き続けると、人は思い込むようになります。自分が動かなければ、何も起きない、と。

けれど誰でも、知っているのです。休息しなければ疲れはとれず、病もケガも治らない、と。

畑も人も休むことは回復を待つことです。私たちが休む時、主の癒しの御手が働いて下さるのです。

主が何を行われるか。私たちは期待し 信じ 待つべきなのです。

主は造られた全てのものに「休む」ことを教えるために 安息されました。造り出したすべてが

主の法則に従う様を見て、喜び楽しまれたのです。

もちろん、その働きを保つ力を、主が止めることはありません。

 主は私たちに休みを与えられました。しかしそれは 「神を信じ従うことを休み、他の神々に

頼る時間をつくる」ことではありません。 神は安息を教え回復の時を与えましたが、義と恵みと愛とを止めることはありません。主がいつも私たちを愛し続けて下さることを休むことが無いように、私たちは主を信じ主と共に歩むことを止めてはならない。

主を信じることを休んではならないのです。

 主は休むことを教えた。主が行われる回復の業を見る時、感じる時を与えて下さいました。

それは主が すぐに癒す力すぐ回復し救う力が無いからではありません。

イエスは安息日の幸いなはずの食卓で、苦しみを抱えた人を即座に癒されました。

主は私たちの痛み苦しみを知り全力で引き上げて下さいます。その力は私たちの想定を超えます。

本来なら罪のために滅びの穴に落ちていたはずの私たちを引き上げ、神の国を目指す者として下さったのですから。

 主の癒しと回復の業は、神の国で完成されます。私たちはやがて完全に癒され赦され、

神の国でまことの 豊かなる安息に与るのです。私たちの神、救い主は癒し主であり 安息日の主。御力に期待し、癒し回復して下さる主を喜びましょう。

お祈りいたします。