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「家を建てた人」

 

20231119 「家を建てた人」

出エジプト記1:22-2:10 ヘブライ人への手紙3:1-6          中村文子

 ヘブライ人への手紙は、モーセとイエスとを並べ、この二人の人がどちらも「忠実」であった、

と言っています。イスラエルは神に選び出され、神の民とされた民族です。

ヘブライ人への手紙は、イスラエルの全家を指して神の家と呼び、モーセはイスラエルの民の中で。つまり神の家全体の中で、忠実だった、と言いました。

イエスはご自身を立てた方に忠実。イエスを立てたとは、その役割に就かせたことを言います。

イエスの役割、救い主であり、世の罪を取り除く神の小羊であり、3章1節にあるように、

大祭司である方。 人間の大祭司には、年に1度 神殿の至聖所に入って主なる神に香を焚き、

民全体の罪の身代わりとして牛や羊を捧げる役割があります。

もちろん、大祭司も人間ですから、この聖なる業の前に、自分自身の罪の贖いのための生贄を

捧げ、罪から清めて頂くことが必要になります。

神はイエスを、罪の贖いの献げ物をする大祭司に任命されました。

イエスが十字架で息を引き取られた時、神殿の至聖所の幕が上から下まで 真っ二つに裂けた、

という記事が、マタイ27:51,マルコ15:38,ルカ23:45にあります。

神から人類すべてを委ねられた大祭司として、責任をもって忠実に、

私たちすべての人の罪を清める献げ物をとして、イエスは十字架で罪の無いただ一人の人間、

「神の小羊」である方がご自身をお捧げになり、その最期、イエスの霊は神殿の垂れ幕を引き裂いて、全人類のためにご自身の死を至聖所に捧げて、大祭司としての役割を全うされたのです。

 モーセの誕生の時、赤ちゃんモーセの命は、信仰と奇跡の中で守られました。

ヘブライ人の人口がエジプト国内でたいへんに多くなり、王 ファラオはこの民族の増加が

エジプトの脅威になる、と怖れ ヘブライ人を減らす命令を出しました。

「男の子が生まれたらナイル川に放り込め」と命令があったのはモーセ誕生の前です。ヘブライ人の妊婦たちも、家族やヘブライ人の住む地域も緊張し恐れおののいていたでしょう。

ヘブライ人 とは 川を渡って来た人という意味。チグリス・ユーフラテス地方から来た、

民族として、他民族から呼ばれた差別語でした。

12部族の一家、レビ族の夫婦に男の子が生まれた時、選択肢は2つありました。

すぐ、川に投げ込むか、なんとか隠して育て続けるか。この夫婦は、育てることを選びました。

生まれたとたんの赤ちゃんの声は、まだ弱く小さい。けれど、赤ちゃんの泣き声は大人の想像を超える大きさ・響きがあります。3か月隠し通した父母の苦労は大変だったでしょう。

多分、赤ちゃんは彼らの近所のレビ族の仲間の中で守られたのです。赤ん坊は成長しました。

隠しきれないと悟った家族は、ファラオの命令を拡大解釈しました。命令通り、

でもパピルスの籠に入れて、ナイル川 の 岸辺の葦の中に置きます。

 ファラオの娘が奇跡的にこの子を見つけました。たぶん、この子が生まれる前から、

王女はいつも この川辺で水浴びをしていたでしょう。モーセの母はきっと知っていたのです。

川岸の葦は、どこが繁っているか。見つけた王女がこの子を殺すかもしれない。

この籠というヘブライ語は、ノアの箱舟にも使われています。大きさはかなり違いますが、

どちらも命を救うために造られました。そして、箱舟はタールで籠はアスファルトで防水。

似ていますね。そして、ノアもモーセも、水の中から引き揚げられ、命を与えられます。

 水の中から上り、新たな命を与えられる。このようなことは、実はイエスの生涯でも起きて

いました。バプテスマのヨハネによって、洗礼を受けたイエスが水の中から上がると、聖霊が

鳩のようにイエスに降ったのです。「水の中から」上り、

イエスは聖霊の力を受けて、福音を語り伝える新しい生き方を始めなさいました。

ノアも、モーセも、イエスも、水の中から上がって、

一度死んだ者として、新たな人生を与えられたのです。

 神のもとから遣わされ、神の小羊であり大祭司である救い主として、

イエスは与えられた役割を全うしました。ノアが箱舟を造り上げ、命を与えられた。

モーセは王女のもとで育ち、さらに荒野で燃える柴の中から主に呼び掛けられ、

その120年の生涯をイスラエルを導く旅に費やしました。

ノアやモーセの生涯にも、旧約の言葉の中にも、救い主イエスの生涯を示唆する箇所は

多くあります。神の園を追われた最初の人アダムの妻を誘惑した、という蛇。

主なる神は言われました。「主なる神は、蛇に向かって言われた。「…お前は…呪われるものと

なった。…お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き

お前は彼のかかとを砕く。」ここで 女の子孫 と言われた方が、イエスだと言われています。

 聖書は歴史書ではありません。神の救いと愛を伝える、福音の書です。聖書全体を通して、

私たち全人類の罪と、救いのための道が解き語られているのです。

全宇宙と人類の始まりからのすべて。ヘブライ人への手紙が言うように、何もかもを計画し

設計し、お造りになり、保って導いていて下さるのは、私たちの神である主なのです。

 この、聖書に書かれたすべてを計画し、造り上げ、人々を任命し遣わし、

そして独り子イエスをも遣わし、御業を完成された方が、私たちの神なのです。

では、神の家とは何でしょう。ヘブライ人への手紙3章1節に、その宛名が書かれています。

「天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち」

この意味を表す言葉が、コリントの信徒への手紙11章荷2節にあります。

「…神の教会へ、…キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」

イエスによって聖なる者とされた人々。それが教会。神の家なのです。聖書に書かれたすべて、神によって造られたすべては、イエスが忠実に守られた神の家のために、

呼び集められ聖なる者とされた神の家のため、教会とそこに集められた私たち

一人一人のために計画され用意された、主なる神の愛の御業なのです。

お祈りいたします。