20231210 「待ち望む」
詩編147:10-20 ペトロの手紙二1:10-21 中村文子
147篇は神を賛美する詩編。ハレルヤ!と喜びの声で始まります。
「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく 人の足の速さを望まれるのでもない。」
馬は、この当時は 戦争のための軍備としても、生活の中で たとえば農業のため 運搬のため
「馬力」は必要とされていました。馬は人が生きて行くための方法や、技術などの力の象徴です。
馬の速さ、とは、現代風に言うなら 生活に必要なインフラ 生活環境、上質な生き方のための手段とも見ることができます。 しかし、主なる神は、そのようなことを 問題にはされません。
人の足の速さ。それはその人の体力、知力、自分自身を訓練・鍛錬して整える根気や熱意。
馬力は設備力や財力とも言うものでしたが、ここで人の足が象徴するのは、その人自身の力。
人が「もともと、自分が持っている力」と考えている能力や才能もこれに入ります。
主はこれも、特に喜ばれはしない、と詩編の記者は言います。
なぜなら、それは 馬力も 人の力もすべて、
主なる神が人に与えた力、与えた恵みの結果なのですから。ですから主は望まれるのです。
神である主を畏れ、心から主が注いで下さる愛と恵みを待ち望む人を。
すべて、与えて下さった方に感謝せよ。馬力人力ではなく、主の御力をこそ喜び、待ち望め、と。
エルサレム、シオン 神の都と呼ばれる町に 主への賛美が呼びかけられます。
主に愛される町とそこに住む人々に、主は、
「城門のかんぬきを堅固に」確実に敵を防いで 守りを確かなものにしてくださる。
「中に住む子らを祝福し」そこに住む人々を、命も生活も そして未来も主が守って下さる。
「あなたの国境に平和を置き」あなたの国だけでなく、あなたの国と他の国の関係にも
主は平和な関係を造り上げ与えて下さる。そして、戦争の度に荒らされてきた麦畑は、
その平和の中で守られる。麦の成長過程は守られ、十分に成長した麦は豊かに実る。
あなたたちは「最良の麦に飽かせて」頂くことができる。
だから、エルサレムよ シオンよ 主をほめたたえ あなたの神を賛美せよ。
ペトロの手紙は、激しいキリスト教迫害の時代に書かれました。
各教会の信徒たちを励まし、彼らの信仰が確かに揺るがないものとなり、彼らがこの時代を
信仰者として生きることができるように、ペテロは言葉を尽くします。
ペトロはこの時代の人たちにとって生き証人でした。実際にイエス・キリストに会い、その生涯を共にした人ですから。人々は彼の言葉を聞いて、イエスの福音を確認していたのです。
手紙を読むのは、イエスの十字架と復活について聞き、信仰を持った人たちです。
ローマ帝国は国内に古くからある宗教を公認し活動を認めていました。ユダヤ教もローマ公認宗教の一つです。当初、クリスチャンたちもユダヤ教の一派と考えられていました。しかし、
イエスの十字架以来、キリスト教は当時「新興宗教」と見られるようになり、
旧来のユダヤ教徒の代表である大祭司たちからも攻撃を受けていたため、帝国内でクリスチャンたちは厳しい立場にありました。この状況でイエス・キリストへの信仰を持つこと表明することは勇気の要ることでした。 そんな彼らに、ペトロの言葉はしっかりと響きました。
「だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、
いっそう努めなさい」
あなたたちは選ばれたのだ。主なる神に召し出されたのだ。あなたたちの救いのために、
独り子イエスをさえ惜しまなかった神の真理を、決して手放さず、忘れることの無いように。
聖書の預言に証されているイエスの福音こそが、この暗い時代にあなたたちの心を照らし
輝く、大切な灯なのだから。この光が必ず、永遠の神の御国へと導いて下さるのだから。
今、私たちは自分の国の憲法によって、信教の自由を守られています。でもその憲法の解釈が少しづつ変化し、運用される動きも続いています。コロナ禍だけが理由ではなく日本国内でも
世界のキリスト教国と呼ばれてきた国でも、教会の縮小は続いています。
礼拝者は減り、教会は統合されています。日本のクリスチャン人口は、1%の域をなかなか超えることの無いままです。私たちも、彼らと同じなのです。
ペトロの時代のような、はっきり目に見える危機ではないかもしれません。でも、確かにいま、私たちも灯を必要としています。
詩編147篇はこう続きます。「主は仰せを地に遣わされる。御言葉は速やかに走る。」
私たちの主なる神は御言葉によって天地創造を完成された方です。雪を降らせ、地に霜を送る冬はやって来ます。地上はいつも、快適な暮らしやすい場所とは限りません。
寒い冬のように、忍耐が必要な時期はあります。
「御言葉を遣わされれば、それは溶け 息を吹きかけられれば、流れる水となる。」
主なる神の御心を伝え、そのご栄光を現す御言葉は速やかに走り、苦しい試練の氷を溶かし、
豊かな水の恵みを与えます。ヨハネによる福音書1章は、主イエスを神の言と呼びました。
主なる神は御心をありのまま伝えるために、御言葉なる神イエスを地上に送られました。
救い主の来臨を待ち続けた人々のところに主イエスは来られ、その生涯によって速やかに救いの道を完成されました。
主イエスが地上に来られ、神の救いの業は始まりました。
救い主のお誕生を祝うこの季節、私たちは賛美によって御言葉によって、また チラシやポスターによって、主の救いの御計画が今も地上を走り続けていることを世に知らせるのです。
「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」
「御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。」
「御言葉を遣わされれば、それは溶け 息を吹きかけられれば、流れる水となる。」
救い主のもたらす光が、私たちに御国の真実を見せて下さる時を、共に待ち望みつつ、
聖書から受け取る恵みを光として、主の道を歩みましょう。
お祈りいたします。
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