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「人となる神、神の子となる人」

 

20231224 「人となる神、神の子となる人」クリスマス礼拝

ゼカリヤ書2:14-17 ルカによる福音書2:1-20            中村文子

 ゼカリヤ書で「娘シオンよ」と呼ばれたのは、神の都と呼ばれたイスラエルの都市、

エルサレムのことです。主なる神が、来てエルサレムのただ中に住まわれる。そして、

彼らの故郷ユダもエルサレムも、主がご自分の聖なる地、領地とする、と。

バビロニアはペルシャによって滅亡し、捕囚となったユダの民はアケメネス朝ペルシャの王

キュロス2世によってエルサレムの神殿の再建を許されました。しかし、預言者ゼカリヤと同じ時代に活躍していた預言者エズラやユダ人の役人ネヘミヤは、ペルシア人からも共に捕囚となっていたユダの民からも邪魔され、エルサレムの再建は度々、中断します。

ゼカリヤがきょうの箇所の約束の言葉を聞いたのは、エルサレム再建のごく初期。

主はシオンを回復される。神に選ばれ、過去には奴隷とされた地から呼び出して頂いた民は、

一度は自分たちの王を主にあって立て、神の力を受けて繁栄させて頂いた王国の民であり都であったところが、バビロニアとの戦争以来、破壊されたままになっている神の都。そこに、

きょうの回復の呼びかけがあったのです。

シオンの民は、ただ一途に主に従うことができなかったために、故郷から切り離され、捕囚となりました。自分たちに与えられた律法も、神殿で礼拝するやり方も忘れてしまいました。

自分たちの神も、自分たちのことを忘れてしまっただろうと、絶望していた彼らがこの言葉を聞いたのです。「声をあげて喜べ。主があなたのただ中に住まう」

 ゼカリヤが伝えた希望の言葉は、シオンにだけ ではありませんでした。

「その日、多くの国々は主に帰依して わたしの民となり わたしはあなたのただ中に住まう。こうして、あなたは万軍の主がわたしをあなたに遣わされたことを知るようになる。」

シオンは主を忘れていたとはいえ、もともと主が選び出し導き、見守って来られた主の民。

彼らには先祖の言い伝えがあり、主が自分たちをもう一度、主の民として下さることを喜ぶ

理由があります。

けれど、これまで主の民でなく異邦の民、汚れた主を知らぬ人々と呼ばれてきた

多くの国々の民が、これまで知らなかった主に出会う。主なる神に帰依する=自分の身心を捧げて全面的に信頼するようなる。そして主なる神は、新しいご自分の民の中にお住まいになる。

その日が来る。万軍の主、すべての敵と戦い勝利して下さる神が、シオンにも、すべての新しい民にも癒し主を遣わされるのだから。主が「すべての肉なる者」の回復のために立ちあがられるのだから、信じて委ね、黙って主を待て。

主はゼカリヤを通して、廃墟の前に立つ民、傷ついた民に、こう語られたのです。

 ルカ福音書2章で、救い主はシオンの民 神の民ダビデの子孫の中に誕生されました。

ヨセフもマリアもダビデの子孫ですが、彼らはナザレ在住。マタイが福音書2章で引用した、旧約聖書ミカ書5章「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。 お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る」には合致しないはずでした。

救い主をベツレヘムで生まれさせ、預言を成就させるために、主なる神はローマ皇帝の勅令さえも用いられました。

羊飼いたちは異邦人ではありませんが、生き物を扱う彼らは神殿の礼拝に集うことのできない人たちだ、として差別された ユダヤ人たちの中で「最も低い立場の人」でした。

ローマで皇帝の後継が誕生すると、吟遊詩人やローマの神殿の巫女などが祝いに訪れ、その子の誕生により「帝国に平和と繁栄がもたらされる」と祝いの言葉を述べる慣例がありました。

天使たちの「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」は、飼い葉おけに眠る乳飲み子こそ油注がれた者メシア=キリスト。王であり祭司である方だ、という宣言でした。誰よりも早く、神が遣わされたメシアが、人としてベツレヘムに生れた。

羊の群れと共に野に置かれていた人々が居る場所が、神の国の大広間となりました。

王や祭司たちから最も遠く離れた立場にある羊飼いたちが、地上の王の誰より尊い神の子の

誕生を、真っ先に 素直に聞き、救い主のいる飼い葉おけを探し当てたのです。低くされたものの存在を癒し、尊く扱われる方によって、この夜、最初に回復されたのは、彼らでした。

 ゼカリヤが聞いた、多くの国々の民の回復。

それは主ご自身が、ご自分の民の中に来て、住んで下さる、という宣言でした。

宣言通り、神として在られる方が、人の命と肉体を持って生きることを経験して下さいました。

「わたしの民となる」この言葉は、人の世では戦争によって実現されて来ました。

他国の人々を自分の民とする。それは強い王や英雄たちによって、力によって実現されることが人の世の常です。今も地球上で行われている争いは相手の意志も理想も希望も関係なく、

武力・軍事力で人々を屈服させます。強い力を前に人々は傷つき、弱り、希望を失います。

私たちの神は、救い主を英雄の姿で遣わしませんでした。

最も強く、最も偉大な神の子は、周囲の人の力に依らなければ死んでしまう赤ちゃんとして、世に生れ出て下さいました。

ヨハネの手紙一4章10節「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、

わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」神がまず、弱く小さく低い者となって下さいました。力ではなく、主がまず示された愛によって、癒し主 救い主は来て下さいました。

「その日、多くの国々は主に帰依して わたしの民となり わたしはあなたのただ中に住まう。

こうして、あなたは万軍の主がわたしを あなたに遣わされたことを知るようになる。」

ひとときでも早く、すべての民にこの福音が届きますように。

地上のすべての民と共に、心からこの日をお祝いいたしましょう。

クリスマスおめでとうございます。

お祈りいたします。