· 

「先立ち導く神」

 

20231231 「先立ち導く神」

イザヤ書11:1-10 マタイによる福音書2:1-12            中村文子

 イエス様は生まれたあと、いつまでベツレヘムに居られたのか。当時、人口調査は、現代では想像もつかないほど作業に時間がかかり、1~2ヶ月どころでは無かったようです。

その間 ずっと宿代を掃い続けるわけにもいかず、ヨセフたち一家はベツレヘム内に住んでいたと考えられます。イエスを拝みに来た学者たちはメソポタミア地方から来たと言われています。学者たちは駱駝を使ったか、馬車か。イエスご誕生の時に現れた星を目指して旅した彼らの日数を目安にした、ヘロデ王の命令は「新しく生まれた王」が含まれる「二歳以下の男子」を全員殺せ、というものでした。この命令で、学者がどれほど長い旅をしたかわかりそうです。ヘロデは気に入らないでしょうが。

権力者に会うために長旅をする。権力者に貢物を持って表敬訪問する。

そういう人が普通、目的としているのは何でしょう?

自分が如何に その権力者の力に期待しているかを伝えるため。または、臣下として如何に自分がその王に忠実かを示し、大きな武勲を立てるチャンスをもらうため。

自分や自分の国を守り、より強い敵に権力者の力で安心安全を得るため。有利な立場を得るため。

あの時、遠い道をいち早くやって来て、王となった祝いを述べた人物だ、と、権力者に自分を

覚えていて欲しい。覚えていてもらわなくては頑張ったかいが無い。そう思うのが普通でしょう。

けれども。学者たちは長い旅をしました。「ユダヤ人の王」を探しに ではなく、彼らの目的とする方は、幼子なのです。まだ、お話することもできない幼子。

彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」のところへ行きました。

その方をユダヤ人の王として 認め 拝むために。自分たちが認めて頂くため、ではなく、

自分たちの信仰を表して、真心から捧げものをするために。

どこに行けばその方に会えるのか、と尋ね歩いていた彼らの言うことを聞いたヘロデ王が、

集めた祭司長や律法学者たちが見つけ出した、「ユダヤ人の王」が生まれる地は、

ダビデの町ベツレヘムでした。

 イザヤ書11章、主の霊が留まる芽が出て育ち、若枝に育つ。

その枝はエッサイの株から芽を出す、と書いてあります。エッサイとは、イスラエルの伝説の王

ダビデの父親の名前です。エッサイの株 ダビデ王の子孫から、主の霊の留まる枝が、エッサイの株から生え育つ若枝が、裁き、弁護するとあります。若枝に留まる主の霊は、知恵と識別の霊。

知恵を得て正しく物事を認識し区別出来る者は、物事を深く慮ることができ、正しい勇気を持つことができます。「正しさ」その絶対の判断基準は、主なる神の御心にあります。

エデンの園で人間が、得る機会を永遠に失ってしまった、主の御心に適う正しい知恵。

人間が主の御声に逆らわず、従ったなら、与えられるはずだった知恵。知恵を持ち、認識し、

物事を深く理解し、勇気を持つ。その方向性を間違えないために、主を知ること。主を畏れうやまうことが必要。私たちは、主の霊により若枝が持つ知恵の霊を必要としています。

この若枝があの学者たちが探していた、ユダヤ人の王として生まれた方なのです。

 若枝が行う裁きは、地上の王がその権力によって行う裁きとは違います。

「目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない。」

目で見る。耳で聞く。人の王が判断するために、注意深く行う行動。

そこで見ることができるのは、起きてしまった現実です。そこで聞えるのは、広がってしまった情報です。 知恵の霊によって裁く方は事が起きる前に知り、言い表される前に聞いて下さる方。

ローマ8章26節に、「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」と、あります。

「弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。」

声をあげられない人、多くの人に働きかける力を持たない人に、正当で公平な裁きを行うことは、とても難しいことです。 私たちはすべての人の置かれた状況を見ることは出来ませんし、

すべての人の声を聞くこともできません。

しかし、若枝に留まる主の霊は、将来 世の中が良くなっていくために、手の届かない弱者、

小さく弱い者を切り捨てる「必要悪」のような考え方を 決して認めません。

人間社会では残念ながら、弱さ貧しさと公平公正が並び立つ状態を保つことは大変難しい。

でも、若枝の裁きは正義と真実によって行われるのです。

 若枝に留まる霊の裁くところでは、強さ 大きさは恐れの対象となりません。

主の霊の及ぶところが、6節-8節 不思議に平和でのどかな風景に表れています。

「わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。」 ですから、「小さい子供がそれらを導く」のです。クリスマスに生まれた王の前で、狼や豹やライオンの牙も爪も吠え声も、主の栄光の輝きの前に力を失うのです。天地万物を創造された方を知る知識を、すべての民が すべての国が 求めて集う。真の平和を願い、待ち望みたいものです。

 博士たちは、その責任ある立場を離れ、自分たちに示された真の王の御前に行くために、

星の光に従いました。彼らに示されたしるしの星は彼らに先立ち、幼い救い主の御前に彼らを招きました。その星を見出すために、彼らに与えられた知恵と知識は、彼らが生まれたての幼子に従うよう導きました。

 主の霊は彼らに御自身の道を示されました。彼らは地上の王であるヘロデに従わず、

ヘロデの道を辿らず「別の道を通って 自分たちの国へ帰」ることで、救い主を守りました。

「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝しあなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ

あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。」

私たちに先立たれる主の、目に見える以上の力、耳が聞く以上の恵みの調べに、畏れおののきつつ、従ってまいりましょう。

お祈りいたします。