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「そのとおりに」

 

20240121 「そのとおりに」

出エジプト記33章12-17節、ヨハネによる福音書2章1-11節      中村文子

 モーセは主なる神に、自分とイスラエルの民を導き、あなたの道を示して下さいと願いました。33章1節~ 主なる神はモーセに、この民を約束の地へ導き上れ、と命じられたのです。

きょう読んで頂いた箇所で、神は「わたしが自ら同行し、あなたに;モーセに:安息を与えよう」と言っています。でもモーセは神に「あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください」と。なぜ、モーセはこんなにも神に食い下がるのでしょう。

出エジプト記32章で、イスラエルの民はこの旅で最大の罪を犯したのです。

 モーセは24章で、主なる神の言葉を聞くためにシナイ山に登り、民が主を礼拝するため、

細かく指示を受けました。神が自ら石の板を切り出し、そこに神の指で十戒を刻んだのです。

しかし、モーセが神から授かった十戒の板を持ち山を降りると、民は偶像礼拝をしていました。なかなか帰って来ないモーセより、自分たちが持っていた金の飾りを集めて造った目の前に見える偶像の神=金の子牛を礼拝し、祭を行ったのです。モーセは十戒の板を投げつけ、砕きました。神の戒めを受けるに値しない不信仰な民に怒ったのです。

この日、民は裁かれ、三千人もの人が神に打たれました。

このあと「あなたたちの先祖に誓った土地に上れ」と命じた主。

しかし主はこう言われました。「わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」

 いま、モーセが「導き上れ」と言われた民は罪を犯した者。ですが彼らは生きています。

主は今生きている彼らを打たれませんでした。イスラエルの民も、主が共に上って下さらないことを嘆き悲しんでいます。モーセは主が自分に、「わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す」と言って下さったことを思い出し、主なる神に喰い下がりました。

神よあなたが私モーセに好意を示し安息を与えると仰った。確かに、この民は罪深い、あなたに相応しくない民です。でも「この国民があなたの民であることも目に御留めください」

地上のすべての民に、主なる神がこの民と共に居られることをお示し下さい、

「あなたがわたしたちと共に行ってくださることによって…わたしとあなたの民は、

地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」

主はモーセのこの願いを聞いて下さいました。民と共に居て下さると約束して下さったのです。

そしてもう一度、主は、今度はモーセが切り出した石の板に、十戒を刻んで下さったのです。

 きょうのヨハネによる福音書はイエスが最初に奇跡を行った「カナの婚宴」の記事として知られています。イエスの母マリアもイエスも、イエスの弟子たちも招かれた大きな祝いの席でした。

イエスが話した灯の油を用意した10人の賢い乙女の話は、花嫁の友人たちが結婚式で、花婿を迎え出る習慣を例えたお話でした。当時の結婚式は日没から ユダヤ暦の一日の最初から始まり、数日間かけて行います。ぶどう酒が無くなる。招待した人々をもてなせない。新郎新婦にも、

両家にも、町にも、たいへん不名誉なことです。

 マリアは婚宴の危機に気付きましたが、慌てませんでした。

何の前置きも無くイエスに 「ぶどう酒がなくなりました」 と言ったのです。

イエスは「わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と言いましたが、マリアはてきぱき 召使いたちに指示しました。

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」

 彼らがイエスの指示通り水を汲んだ石の水がめ。これは「ユダヤ人が清めに用いる」ものだと

書かれています。きよめ 神の前に出る者たちの、準備のための水がめ。

本来はきちんと洗い、満たしておくべきものです。神の前で新たに夫婦として出発する二人を

祝福するために、人々が手を洗い、足を洗うためのものです。使われずに置いてあった。しかも、それは6つ。完全数の7に1つ足りません。

まるで、この結婚式が直面している問題そのもののような、準備不足の水の入っていない

不完全な6つの水がめ。この水がめの能力を最大限に、イエスは用いたのです。

「水がめに水をいっぱい入れなさい」

運んだ召使いか、宴会の世話役か。どちらが先にこの上等なぶどう酒に気付いたのでしょう。

イエスが現わされた神の御業の栄光によって、婚宴の席は祝福を受けました。

途中でぶどう酒を切らし、祝福して下さる神と招待客を侮辱した夫婦 と呼ばれるかわりに、 婚宴の最後に上等なぶどう酒を用意した花婿という栄誉を受けたのです。

 マリアは安心していました。マリアがイエスの母だから、イエスが自分のために動いてくれると思っていたのではありません。彼女の信仰は天使ガブリエルに会った日から始まっています。

マリアは天使ガブリエルから「あなたは男の子を産む」と聞いて、「どうして、そのようなことがありえましょうか」と疑問や驚きをぶつけました。でも、「神にできないことは何一つない」と

いう天使の答えを聞いて、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言った、あの日です。

たとえそこにあるのが、水のない6つしかない水がめでも。

私たちが主なる神を信じる者、クリスチャンとして人々に知られるに相応しくない者であっても。

主イエスが、共に居て下さるのです。

たとえモーセと共に旅をする民が金の子牛を拝んだ、主に相応しくないものでも。

主が共に旅をしいて下さるなら、「神にできないことは何一つない」のです。

主が私たちを心に留めていて下さるのですから。

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」

御言葉に従う時、主の御手が働かれ、主の栄光が現れるのです。

そして主は、私たちが特別な者、主の民だと 示して下さるのです。

マリアの大胆さに学び、モーセが主にすがったように 主が共に居て下さるから、

安心して自分の問題を主に委ね、主の御声を聞きましょう。

そして「そのとおりに」従ってまいりましょう。

お祈りいたします。