20240211 「満ち足りる」
詩編32編1-11節、フィリピの信徒への手紙4章10-20節 中村文子
パウロからの手紙。これはフィリピの信徒たちの信仰を励まし教える手紙であると同時に、
彼らから受け取った献金へのお礼状でもあります。 ローマ政府のキリスト教徒迫害の度に逮捕され、パウロの命は幾度も危機に直面しました。その中でも手紙を書き、出会った人々にイエスの福音を語り続けたパウロに、フィリピの教会からは継続して献金が届けられ、
それはパウロの手紙を運ぶテモテやエパフロディトの旅費や生活費にもなりました。
パウロは彼らにたいへん喜んでいるとを伝えましたが、「物欲しさにこう言っているのではありません。」とか、「贈り物を当てにして言うわけではありません。」と言いました。
受け取った献金が有難迷惑なのではありません。
フィリピなどマケドニア州の教会は、お金持ちの信徒が集まる教会ではありません。その中で
特にフィリピの教会は、パウロが最初にマケドニア州で伝道活動を行った時から、パウロの宣教に加わる熱心さがあったのです。この福音のために働こう!自分たちも奉仕しよう!と、活動を始めた、この地方最初の教会でした。パウロはコリントの信徒への手紙二8章に書いています。「彼らは…その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。…彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。」
決して豊かでは無かったけれど、彼らは献金することを恐れませんでした。
パウロはいいました。祭壇で全焼の生贄が燃やされ、その香ばしい煙が主のもとに届くように、あなたたちの熱意と信仰は、神に届いた。あなたたちの献げ物を主は喜んで受取って下さった。
主は必ず、あなたたちの必要をすべて、満たして下さる。共に父なる神を褒め称えよう、と。
主が40年に渡る出エジプトの旅をどのように導いて下さったのか。
出エジプトの旅で、民は何度も飲み水が無い、食べ物が無い、とモーセに文句を言い、その声を聞いた主なる神が起こされた奇跡によって、彼らは何度も助けられていました。
モーセを通じ主は、あの旅は主なる神が民を苦しめ、彼らが神の戒めを守るかを試すためだった、と 申命記8章で語られました。
彼らが度々言った「なぜ、神は自分たちを荒野に連れて来たのか。我らを飢えと渇きで死なせるためではないか。」
主が、何もあるはずの無い荒野に民を導いたのは、マナを与え 彼らを生かすことによって、
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることを
あなたに知らせるため」だったのです。
私たちはマタイによる福音書4章で、主イエスが断食の後、サタンの誘惑と闘う時、この言葉を用いられたことを思い出します。荒野でイスラエルの民が聞いた主なる神の御言葉を、イエスは申命記を通し、荒野で学んでおられたのです。
出エジプトの旅は、父なる神が、我が子を訓練するようにご自分の民イスラエルを訓練した日々だったのです。決して民を弱らせ、多くのものを荒野で滅ぼすためでは無かった。
その証拠に、40年もの年月、民一人一人が来ていた着物は古びることはありませんでした。
彼らの足は歩きすぎて、疲れて腫れ上がって当然なのに、誰の足も痛むことはありませんでした。
ただ、あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、主なる神を畏れること。
律法の書に書き記された、主がこの旅の中で与えて下さった主の戒めを 忠実に守ること。
それだけ。そうすれば、「あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。」 自分自身の命を守り、自分も子孫も生き残るために、
主が求められたのは、主に信頼し忠実に仕えること でした。
民一人一人に 私たち人間 一人一人に、何が必要か。すべては主が与えて下さるということを、主は民と共に荒野を旅する中で、教えて下さったのです。
パウロはたいへん熱心で忠実なユダヤ人家庭で育ちました。彼はイスラエルの民が学び伝えて来た主の戒めを 律法を熱心に学び、やがてイエス・キリストに出会いました。
イエスの教えに従う者たちが迫害を受ける時代に、パウロは「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚え…満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても
不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」と
フィリピの教会に書き送っています。先祖たちは荒野で、「物がない。死んでしまう」と騒ぎましたが、パウロはすでに、主は自分たちの必要をすべて知り、主が必要を満たして下さる、という信仰を与えられていました。
そしてフィリピの信徒たちは、主から受けた恵みをただ、感謝したのではなく、
むしろ積極的にパウロの働きに自分たちにできる方法で加わり
「満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった」のです。
パウロは彼らに言いました。あなたたちは主のために犠牲を惜しまなかった。
私たちの主である神は、すでにイエス・キリストによって、ご自分の身を捨てて愛と熱意を表された方だ。父なる主は、私たちのために犠牲を惜しまなかった。
この神が、私たちを満ち足りた者にして下さる。 私たちに必要を与え強くして下さる。
主なる神の豊かな栄光の富が、あなたたちに分け与えられた。だから
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能」なのだ、と。
パウロと共に私たちも、私たちの必要を、すべて、満ち足らせて下さる主に感謝しましょう。
主なる神の御栄光が代々限りなくあるよう祈り、この福音が、
もっと多くの人を満ち足りさせて下さることを、心から望み、願い、仕えていきましょう。
お祈りいたします。
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