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「死からの解放」

 

20240331イースター早天礼拝「死からの解放」

ルカによる福音書23章50節-24章9節                  中村文子

 真新しい墓は、イエスのために掘らせたのではないでしょう。自分のために用意した園の中の墓は、罪人を葬るには立派過ぎるものでした。

もしアリマタヤのヨセフが、遺体の取り卸しを申し出なければ、イエスの遺体は他の罪人たちと一緒の共同墓地へ行くことなっていたかもしれません。神の国到来を伝えた、尊い預言者イエスを、粗末な扱いにはしたくない。

ユダヤ議会(サンヘドリン)の議員でありながら、イエスの処刑を止めることのできなかった

ヨセフの、せめてもの心遣いであり、こんな決議をした議員たちへの抵抗だったかと思われます。

 イエスの葬りを、女性たちが見守っていました。24章10節は、彼女らの名があります。

マグダラのマリア、ヘロデ・アンティパスの執事クーザの妻ヨハナ、ヤコブとヨセフの母、その他の婦人たち。マルコ福音書によると、この中にはヘロディアの娘サロメも居たようです。

福音書が彼女たちの名を書いている、ということは使徒言行録に書かれた、初代教会のメンバーとして活動していた人たちだった、ということです。

彼女たちは(息子も含む)弟子たちと違って、イエスの十字架の苦しみをすべて、目撃しました。

彼女たちの目の前で、イエスの遺体は十字架から取り降ろされました。

彼女たちが見ている間に、遺体引取りを許されたアリマタヤのヨセフは、用意したきれいな亜麻布でイエスの遺体を包みました。ヨハネ福音書19章には、ヨセフの仲間の議員でイエスの弟子でもあったニコデモも、この時香料を;没薬と沈香を混ぜたものを百リトラ(約3kg強):用意して来たと書かれています。イエスは確かに亡くなられた。女性たちはこの事実を深く受け止めました。その日の日没から安息日が始まります。

日の暮れる前に、彼女たちは香料と香油を用意しました。

 死者の遺体を腐らせることなく、数年かかりで土に還す。死者の尊厳を守るため、香料と香油は必要でした。親しい者を看取った人々は、いわゆる「墓参り」の都度、香料を携えて行き遺体を包む亜麻布に塗る。その人とのこの世での関係の終わりを、作業によって認識するのです。

週の初めの日:日曜日の早朝、女性たちは薄暗い園に入りイエスを葬った墓の前に来ました。

遺体に油を塗るためには、墓に封印した大石を動かさなくてはなりません。その方法を案じていた彼女たちは、もう、石が脇に転がされているのを見ました。そして、墓の中には2日前に納められたイエスの遺体がありません。ヨハネ福音書は亜麻布だけ残されていたと書いています。

 思いがけない事態に、彼女たちは動揺しました。どうすればいいのかわかりません。

うろたえる彼女たちの前に、輝く衣を着た2人の人が…マルコは若者、と書き、マタイは「天使」とはっきり書いています。この二人を見た女性たちは、あわてて顔を伏せます。

聖い方、神なる方をみてはいけない。見れば死んでしまう。そう教えられてきたからです。

 天使は言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は…復活なさったのだ。…お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

思いがけないこと、常識の通じないことに突き当たり動けなかった彼女たちは、イエスの話されたことを思い出しました。

 墓や暗闇への恐れを乗り越えてイエスの墓に来た彼女たちは、この出来事をすぐ、弟子たちに伝えました。イエスは生きている。イエスは復活され、生きて活動しておられる。

イエスは死者の中から復活された。死んで終りと思っていたイエスとの関係は、終わっていない。

彼女たちはまだ、復活されたイエスには出会っていません。彼女たちが元気づき、希望を持ったのは天使に出会ったからではありません。共に居た時に聞いたイエスの言葉。

心と記憶に在ったイエスの言葉が、彼女たちに喜びを与えました。イエスの福音は言葉によって伝えられ、その力は私たちを死から解き放ち、命の希望を与えるのです。

お祈りいたします。