20240512「生きた水」
列王記下2章8-15節、ヨハネによる福音書7章32-39節 中村文子
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」というイエスの言葉に、
水の豊かな日本の人は、あまり魅力は感じないかもしれません。
能登半島では、今年の正月の地震から先月4月の4日まで、給水活動が行われました。
水道が復旧しても飲める水が出ず、苦しい時が続いていました。
イエスは生きた水」について、ヨハネによる福音書4章でもお話になっています。
サマリアの井戸の側で、イエスから「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と聞いた女性は、町の人たちに会いたくない事情がある人でした。
「わざわざ人の集まる井戸に水を汲みに来なくてもいいように、ぜひ、その水が欲しい」と彼女は思いました。先月初め頃の能登半島の人や、断水を経験した人は、彼女に共感するでしょう。
イエスは、「水汲み仕事から解放してあげます」とか「水道代を安くする方法を教えます」とは言いません。イエスが与えると言った水は、「生きた水」です。それは何でしょう?
生きている とは どういうことか。生きていれば動物も植物も成長します。実を実らせること、枯れることも成長の過程の一つです。生きていれば、日々 変わり続けます。
水は、その変化のために、必要なものです。
イエスが生きた水について話された時、イエスの側には祭司長の下役たちもいました。
イエスのところに集まった群衆が「メシアが来られても、この人(イエス)よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った、と、ファリサイ派の人々の耳に入ったからです。
人々がイエスをメシア=救い主だと言うことは、ファリサイ派ユダヤ人たちには許しがたいこと。
イエスが人々に、ご自分は神から遣わされた者だ、と言ったと聞いたユダヤ人たちは、イエスを
神を冒涜する罪人だと考えました。これ以上語らせて、人々を惑わさないよう捕まえなくては!
自分を捕まえようとする人々にイエスは言いました。「あなたたちは、わたしを捜しても、
見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」。
十字架の時が近づいた、自分の死が近づいたとイエスは悟って、こう言われたのです。
ユダヤ人たちは「どこへ行くつもりだろう。…ギリシア人に教えるとでもいうのか。」と話合いました。イエスが「自分は地上から去る」と言われたとは考なかったのです。
イエスは多くの人が集まる所で、生きた水について話されました。イエスは地上を離れ、
父なる神のもとへ行く。けれどもイエスを信じる人々、イエスのところに来て飲む人々には、
生きた水が与えられる。ヨハネは、イエスが聖霊を水に例えて話した、と書きました。
聖霊なる神様を、イエスはご自分を信じた人々に与える。
すると、その人の内から生きた水が川となって流れ出ると。
きょう読んで頂いた列王記下。2章の初め、他の預言者たちはエリシャにエリヤが居なくなることを伝えていました。エリシャは、列王記上19章でエリヤについて行く、と決意し、畑を耕すために使っていた木製の農機具を燃やし、その火で自分の農耕用の牛を料理しました。
人々に食べさせ、もう自分には農作業をする道具が無い状態にしました。
エリヤについて行く。もう、戻らない。そう決意して従ったのです。
エリヤは死の時を一人で迎えるつもりでした。しかしエリシャはエリヤから離れません。
エリヤから「何なりと願いなさい」と言われたエリシャ。当時、父から子への相続で、長子は他の相続人の2倍を受けるという取り決めがありました。それを、エリシャは預言者の役割に引き当て言いました。「エリヤの霊の二つ分を受け継がせてください。」
「わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる」と、
エリヤは言いました。そして、エリシャの目の前でエリヤは、火の戦車に乗り天に昇ったのです。
エリヤは確かに取り去られた。エリシャは自分の衣を裂きました。
旧約聖書において、衣服はその人の役割や能力を表します。
もう、エリシャの師匠はいません。エリシャに教える人もエリシャを導いてくれる人もいません。自分には何もない。エリシャは衣を裂き、自分の無力さを実感しました。 そこに エリヤの着ていた外套が落ちて来た。
エリシャは外套を拾い上げ、エリヤがしていたように、ヨルダンの岸辺で水を打ちました。
「エリヤの神、主はどこにおられますか」と、エリシャは神に呼び掛けました。
川の水は、エリヤの時と同じように左右に分かれ、彼は渇いた土地を渡ることができました。
エリヤが取り去られる、と、告げていた仲間は、エリシャが確かにエリヤの後継者になったことを認め、彼を迎え入れました。
完全に、エリヤはいなくなった。無力な自分は一人残された、と自覚したエリシャ。
主なる神は彼にエリヤの外套を与え、エリヤの職務を受け継ぐ者とされました。
エリシャがエリヤから受け継いだのは、エリヤの霊の二つ分。エリヤから離れた後も、エリシャの中でエリヤの霊は働き続けました。
イエスは人々に告げました。ご自分が、ご自分を信じる人々の前からいなくなる時が来る。
イエスが地上に残してゆく人々に与えたのは、生きた水。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、
永遠の命に至る水がわき出る。」
イエスがいなくなり、人々が感じる孤独や不安を、イエスは水を得ることができない「渇き」に例えました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、…その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
生きた水は、永遠の神の都へと導く川となります。
イエスを信じる信仰を伝える者は、豊かな命の川の、生きた水を受け継ぐのです。
その川の流れは、イエスを信じる者の群を、豊かな永遠へと導くのです。
お祈りいたします。
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