20240609「御子に似る」
ハバクク書2章1-4節、ヨハネの手紙一2章24節-3章2節 中村文子
ハバククはユダ王国の預言者。彼が神の御声を取次いでいた頃、北のイスラエル王国はすでに、
アッシリア帝国によって滅亡し150年ほど経っていました。王国の滅亡は、王や民が主なる神の御心に従わなかったからだ、と知られてましたが、ハバククの国ユダの王たちは主なる神の御心に従いません。
1章で、彼は主に訴えました。正義を行わない王たちによって、ユダの民が苦しむ。争いが絶えない。
助けて下さい。・・・主の答は、ユダがカルデヤ人つまりバビロン帝国によって滅ぶ、というもの。
バビロンによってユダの罪を裁く。 さらにバビロンも彼ら自身の力を神とする国であるから、
彼らも罪に定める、と 主は言われました。
ハバククの目の前で、ユダ王国の民はバビロンの捕囚となりました。民は死に絶えはしないけれど、
苦しむ。確かにユダの民は裁かれて 当然。 でも、主よ 彼らはあなたの民ではありませんか!
苦しむ民を見て居られるのに、なぜ黙っておられるのか!
ハバククは主なる神の答をすぐ 民に知らせるために、歩哨となった。それがきょうの旧約の箇所です。 ハバククに、神は2つの幻を示されました。
幻 とは 神がこれから行われる御業の御計画。ユダ王国の滅亡 そして バビロン帝国の滅亡です。 主はさらに、ハバククに「もう一つの幻がある」と告げました。
王国が滅びて終わりではない。本当の終わりに向って、動き続けている計画がある。
「たとえ遅くなっても、待っておれ」 それが主の御命令でした。
人の罪を解決するために、神は地上に救い主を遣わす預言は、最初 アダムとエバが聞きました。
彼らは長男にカイン(「得た」という意味 )と名付けました。神が早速、悪に勝つ力を持つ者を与えた、と考えたのです。けれどカインは救い主ではありませんでした。旧約聖書は幾度も「やがて遣わされる方」についての預言を与えています。 救い主がとうとう、世に遣わされたのは新約聖書の時代。アダムから数千年の時が流れています。神はご計画を忘れてしまわれたのか?約束の実現はいつなのか?
あまりにも遅い。
人間が不安になっても当然。けれど、主はハバククに「それは終りの時に向って急ぐ」と、言われました。この 急ぐ は、「あえぐ」または「息を切らす」とも訳せます。
主は何もせずに定められた時を待っておられる方ではないのです。
私たちは神の御姿も、神の御業をすべて見ることはできません。蒔かれた種がいつ根を下ろし、芽が出て、葉が広がるのか、知りません。私たちは遅い、と思う。でも実は、神は驚くべきスピードで全てのことを 御心のまま行っておられるのです。高慢になるな。全てを知っている、すべてを得たと思うな。
主は必ず幻を実現される。信じて生きよ。もう一つの計画を実現させるために、主は 喘ぎながら急いでおられる。主はすでに走っておられる。主の御計画を民にしっかり知らせるために、
預言者ハバククよ書き記せ。走りながらでも読めるように。
イエス・キリストが神の国の福音を宣べ伝えた時、イエスを救い主メシアと信じた人々は思いました。
とうとう、神がイスラエルに、神の御心に適う正しい王を与えて下さった。
イエスこそイスラエルを再興し王国を再建する方に違いない。 イエスが人々の病を癒し、五千人を超える人々にパンを与え満腹させた時、人々は新しい王が来られた、と喜びました。
ですから、イエスが逮捕され、十字架で死に、葬られると、多くの人がイエスから離れたのです。
イエスは彼らの幻を実現する方では無かったのです。
ヨハネは きょうの箇所で、「御子の内にとどまりなさい」 と 繰り返し書いています。
「御子の内に留まる」ために、「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」
初めから聞いていたこと とは何か。イエスが何のために世に来られたか、ということです。
人々が期待した、イスラエル王国を再建する王 ではない。 イエスは宣教を始められた時、
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と、語られました。
御父とヨハネが書いたのはイエス・キリストの父なる神、天地万物を創造した、私たちの主なる神様です。
なぜ、すべての人が神の国に来て欲しいのか。それは、御父なる神がすべての人を愛しておられるから。
天の国は聖い神様の国。永遠を生きる神の国です。 罪ある汚れた者は入ることができません。
神の御子イエス・キリストは私たち 人を愛し、またすべての人を愛する御父 主なる神が願う、
神の国に全人類を招き入れる幻 神の御計画を実現するため、救い主として来て下さったのです。
私たちの罪はイエスが十字架で贖い赦して下さいました。
たとえ肉体の命が終っても、死は滅びに繋がりません。私たちは、イエスによって救われ永遠の命を頂き永遠の神の国に入ることができるのです。
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、…それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほど」
地上で生きるうちから、神はイエスを信じる私たちを、ご自身の子としていて下さいます。
ヨハネが手紙一に書いた反キリストと呼ばれる、私たちを主なる神から引き離そうとする力は働いています。恐れることはありません。私たちが「御子の内にいつもとどまり」続け、神に従い信仰によって
生きるなら、イエスが約束された助け手=聖霊なる神=「御子から注がれた油」が、この方がわたしたちに「万事について教え」て守り育てて下さいます。
私たちは成長すると共に、自分が親によく似たところがあることに気付く時があります。
私たちの天の国への歩みの中でも、主は私たちに ある変化を起こされます。
「愛する者たち、わたしたちは、…御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。
なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」
主がわたしたちの歩みを、確かにして下さいますように。
イエス様の再臨が、私たちにとって 懐かしく喜ばしいものでありますように!
お祈りいたします。
ここから17章までイエスのメッセージ。
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