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「憐みの主の宮」

 

20240623「憐みの主の宮」

ヨナ書3章7節-4章11節、エフェソの信徒への手紙2章14-22節     中村文子

 ヨナは預言者=神の言葉を聞き、人々に語り伝える人です。他の預言書イザヤ書やエレミヤ書などは神から受けた御言葉とそれを伝えていく様子を、預言者が書いていますが、ヨナ書は

預言者自身の生き方や 神とどう対話し祈ったかを物語るかたちで書いています。

1章の初め、神から大いなる都ニネベに神の言葉を伝えよ、と命じられたヨナは逃亡します。

ニネベと逆方向の港からさらに遠い国に向う船に乗って。なぜ、彼はそこまでニネベでの預言を嫌がったのでしょう?ニネベは古代から続くバビロンの都市です。

バビロンはヨナたちユダヤ人にとって、祖国を滅ぼし自分たちを捕囚にした敵です。宣教どころか、行くのも その国の人に会うのも嫌。彼らに神の言葉を聞かせる前に、滅んで欲しい。

ヨナは主なる神に自分の思いを伝えずに逃げ出しました。しかし神はその船を嵐に会わせ、彼は海に落ち、溺死しそうになります。しかし主は、彼を大きな魚に吞み込ませ助けて下さいました。

2章ヨナは魚の腹の中で悔い改めて祈って主が命じられた役割を受け入れ、魚は彼を陸地に吐き出しました。

 ヨナはニネベに行って歩き回り、主の御言葉通り「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」と

言って歩きました。するとニネベの人々は神を信じ、へりくだって断食し祈り始めました。

ニネベの人々が祈り始めたのを見て、主なる神は災いをくだすのを止められた。

神がヨナに「災いをくだすのは止めた」と言ったとは書いていません。でも、祈り始めたニネベの人々を見てヨナは叫び始めた。「こうなると思ってたんです!だから嫌で逃げたんです。あなたが恵みと憐れみの神様で、忍耐深い愛の方だと知っています。私はニネベの人々が滅びずにいるのを見るくらいなら、死んだ方がマシです」と。   彼が叫んだのは、悔い改めた後です。

一度は死にそうになり、主なる神が自分を助け、生かして下さったと知って、神のための働きに戻って来た後です。神様の御心に対して こんなに怒って大丈夫なのでしょうか。

 ヨナの怒りはバビロンの民への憎しみ。彼の民族が経験した苦しみに傷ついた、彼らユダヤ人が持つ傷の痛みからくるものです。

エフェソの信徒への手紙で同じ痛みを持つユダヤ人のパウロ。新約聖書 使徒言行録8章を読むとパウロが以前、自分と違う考えを持つ人に激しく攻撃的だったことがわかります。

 イエスの十字架。神から遣わされた神の子 救い主が、罪人として十字架に架かり死ぬ。そんなことが起きるとは思いもしなかった人々が互いの信仰を受け入れられず敵対していました。

パウロは十字架に架かったイエスが神の子救い主だと信じる人々は間違っていると考え、イエスを信じる者たちを迫害しました。攻撃して当然と思っていたパウロは、復活したイエスに出会い、「なぜわたしを迫害するのか」と語り掛けられ、自分の間違いを知ったのです。

パウロはイエスの福音の伝道者となりました。

 イエスの十字架が敵意を滅ぼし、隔ての壁を打ち壊した。  旧約聖書に書かれた神の民は、ユダヤ人の先祖です。旧約聖書にはユダヤ人たち自身の信仰を守るために、異邦人を遠ざけよ という教えがあります。イスラエルの民の中から、異邦の国の宗教に惹かれ真の神への信仰から迷い出る者が多くあったからです。

パウロたちの宣教の中で始まった教会には、エフェソ教会と同じく主なる神を信じる者が集い、その中にはユダヤ人もユダヤ人以外も居ました。同じ主なる神の民として集められた者が、長年の習慣や教育による民族の壁を乗り越えられずにいる。パウロは自分の経験を深く考えました。彼がイエスを救い主と信じ伝道するのは、彼自身が隔ての壁を乗り越えることができたからです。イエス・キリストの十字架はすべての人を罪から救い出すと同時に、平和を造り出すのです。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。…御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し…双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

旧約聖書に書かれた神の民は、イエスの十字架によって救われたすべての人の先祖となりました。

そして神は、イエスを信じた者たちに、ご自分の霊を注がれました。

旧新約にわたる神の言葉は、イエス・キリストを要石とする私たちの、信仰の土台です。

 預言者ヨナは、ニネベの民への憎しみと、ニネベを救おうとする神への怒りをぶちまけました。神はヨナに「お前は怒るが、それは正しいことか」と問いました。

主はご自身に感情をぶつける者を受け止めて下さいます。ヨナが逃亡した時、主は彼の行動を悲しみ、嵐や大きな魚によって彼を呼び戻しました。主が悲しまれるのは、主の御顔を避けること。主は私たちが主の御業を理解できず苦しみ叫ぶことを赦します。

ヨナはニネベの滅びを期待し様子を見ました。日差しに苦しむヨナに主は、とうごまの木によって木陰を与えます。でもそれが枯れると、ヨナはまた「死んだ方がマシだ」と怒るのです。 「お前は、…一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しむ。…どうしてわたしが…ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、…右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

同じ神への信仰を与えられた者たちが、それぞれに神から与えられた役割を果たしつつ

主なる神の宮を支えています。中には戦いの中、互いを攻撃しあう者たちもいます。

私たちも ニネベの民とかわらず、わきまえの無い愚かなものです。

主が憐れんで、救い出して下さいますように。

今もまだ残る隔ての壁が 一日も早くすべて取り払われ、すべての主の民が主の御名によって集う神の宮として建て上げられ キリストの平和が与えられますように。

 「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、

使徒や預言者という土台の上に建てられています。」

お祈りいたします。

ここから17章までイエスのメッセージ。