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「愛し見守る」

 

20240630「愛し見守る」

ホセア書14章2₋10節、使徒言行録9章36₋43節            中村 文子

 イエス・キリストは十字架で死に葬られ、三日後に復活し、さらに50日後に弟子たちに聖霊なる神が炎のように降りました。弟子たちは幾度も驚き、エルサレムのユダヤ人たちは興奮しました。聖霊の力を与えられた弟子たちは、迫害の中でもイエスの福音を語ることを止めません。

 きょうの使徒言行録9章の頃には、彼らを迫害していたサウロ:パウロと呼ばれるようになったファリサイ派の学者も回心し、イエスを宣べ伝えるようになっています。現代、私たちも

コロナ禍で かなり大きな世の中の変化を経験しましたが、このころのイエスの弟子たちも、

毎日が変化と挑戦の日々です。パウロが仲間になっても迫害は止みません。ペトロはエルサレムを出て、地中海近くのリダで伝道しました。聖霊は彼にも、イエスのように病気の人を癒す力を与えていました。

 海沿いのヤッファは今、日本も輸入するグレープフルーツの産地として知られる町です。

ここでユダヤ人たちの要となって働いていたイエスの弟子の女性タビタ:ギリシア語でドルカス。これはカモシカという意味です。本名かどうか。彼女に人々がつけた、あだ名かもしれません。元気で、活動的で…ところが突然、彼女は死んでしまったのです。事故か病気かはわかりません。

ヤッファの人々は遺体をきれいにして安置し…どうしたらよいか、わからなくなりました。

自分たちをまとめていたリーダーがいない。そんな時、彼らに情報が伝わりました。

リダに お弟子のペトロが来ている。 彼らはこれに飛びつきました。

「急いでわたしたちのところへ来てください」 

リダとヤッファの距離は10kmほど。ペトロは自分を探しに来た二人と一緒に出掛けました。

 ペトロとタビタに面識があったか、わかりません。

人々はイエス様と一緒にいた直弟子に、すがりました。

 ヤッファの集会を支えていたメンバーには女性が多く、夫を天に送ったやもめも多く居ました。彼女たちはタビタが自分たちにとって、どんなに大切か、彼女がどれほど良い働きをしていたのかを、涙ながらにペトロに話しました。

彼女たちの行動から、私は彼女たちは 若者では無いな と思います。何故なら…

彼女たちと、ペトロは初対面のはず。有名なお弟子とは言え、男性。

そのペトロにタビタのことを伝えようと彼女たちが見せたのが、

ドルカス謹製の「数々の下着や上着」…これを やらかす には、相応の老人力が必要でしょう。

 やもめたちのなりふり構わぬ悲しみを見て、ペトロはタビタの遺体のそばから、ヤッファ集会の人々を一旦、外に出しました。 そして、跪いて祈ったのです。

ヤッファの人々はペトロに自分たちが途方に暮れていることを 隠さず伝えました。

ペトロは彼らの今を受け止め、それをそのまま 主なる神に奉げて、祈ったのです。

 きょうの旧約の書を書いたホセアは、自分自身の生活と経験によって主なる神を学び、

神の御心をイスラエル人たちに伝えた預言者です。

主は彼に「淫行の女をめとり 淫行による子らを受け入れよ」と命じました。お相手のゴメルは

結婚後次々と子供を産み、しかし主は2人目3人目の子に「憐れまれぬ者」「わが民でない者」という名を付けました。ホセアの子かどうかわからない子。こんな破廉恥なホセアの妻が、

まるでイスラエルの民のようだ、と神は言われるのです。

 真の神に選び出され、神の民として生きる幸いを喜ぶべき。でもイスラエル王国は幾度も神に背き、まるでゴメルがホセアの家からさまよい出るように 民は何度も神を悲しませるのです。    

主なる神が 民に 裏切られても 裏切られても、愛の御手を延べて下さるように、

ホセアは何度もゴメルを助け出し、財産をはたいて彼女を取り戻すのです。

 主の悲しみと苦労をホセアは身をもって体験し、この書の大半を使ってイスラエルに下される主の裁き 国の滅亡と荒廃、そしてこれから経験する苦しみを預言しました。そして、

14章後半で 主が授けた祈りの言葉を民に教え、主が語り掛ける愛の言葉を伝えるのです。「わたしは背く彼らをいやし喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。」 立ち帰れ、あなたは居るべき場所にいない。主は我らを癒し、愛し、守り育てて下さる。

主の陰に宿る者を主は育て花開かせ、根を張らせ、人々の目にも貴い者に成らせて下さる。

それでも、主なる神を偶像のような この世の栄光と比べ 迷うのか?

主は、ホセアがゴメルを愛した以上にあなたたちを愛し見守り、助け、実を結ぶ者にされる。

 どうしたらよいのか、わからない。将来、どうなりたいか なんてわからない。

ホセアの前にいた民も、ペトロの前のヤッファの人々も、神が見えず、立ち往生していました。

ペトロはイエスの死後、恐れと混乱で動けなかった自分を覚えていました。

今、ヤッファの人たちのためにも、主なる神は働いていて下さると、ペトロは知っていました。

ヤッファの人々の悲しみを受け止め、ペトロは跪いて祈りました。

主は彼に、行動と言葉を授けたのです。

主イエスが十字架で亡くなり、ペトロも悲しみ、困惑して閉じこもった時期がありました。

しかし、主は甦り、自分たちの前に現れて下さった。 

いま主なる神の霊が自分と共に居て下さる。主の御心なら 病は癒される。

必要なら、主は彼女を呼び返して下さる。 彼は遺体に「タビタ、起きなさい」と言いました。

彼女は目を開き、起き上がりました。

主は奇跡を起こされました。この驚きと喜びは町中に伝わり、多くの人が主を信じたのです。

 10節、ホセアは民に確認を迫りました。どう生きるべきか、知っているだろう?すでに主は、あなたたちに教えて下さった。神につまづくのは、主に背いて主の道を外れたからだ。

私たちは、ペトロの祈りに応えて下さる主に 祈ることができます。

主の道は正しいのだから。主は私たちをどこまでも愛し、見守り助けて下さる方なのですから。

お祈りいたします。