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「尽きない 無くならない」

 

20240728音楽礼拝 「尽きない 無くならない」

列王記上17章8-16節、ヨハネによる福音書6章22-33節        中村文子

 アハブ王にエリヤは預言しました。「数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」

アハブはイスラエルの歴史の中で最も悪い王として有名。王の悪政に神の怒りが降り、異常気象をもたらしたのです。預言の通り、イスラエル王国も周辺の国々も、数年間 大干ばつで苦しみました。エリヤも、王の前を去って川の水を飲んで暮らしていたのですが、その川も涸れてしまったのです。

彼女がエリヤに近づいたのは、彼が弱っていて「水を飲ませて下さい」と言ったからです。

荒野の民は旅人をもてなします。無視すれば、誰にも会えず、死んでしまうかもしれないから。

預言者エリヤは、彼女を見て主が言われたのは、この人だ、と思ったでしょう。主なる神は彼に、

「シドンのサレプタに行き、そこに住め。一人のやもめに命じて、あなたを養わせる」と言いました。

 エリヤは「パンも一切れ持ってきてください」と言いました。すると彼女は自分の現実を伝えました。

「壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけ…わたしとわたしの息子…は、それを食べて…あとは死ぬのを待つばかり」  雨も降らず作物は実らず、たぶん物価は相当 上がったでしょう。畑が実らなければ、貧しい者は働く場所も落ち穂を拾う場もありません。 八方塞がりです。

それでも、エリヤは言いました。「まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。」

 聖書は、彼女がエリヤの言ったとおりにした、と書いています。その前に、彼女はどう考えたのでしょう。彼女にあるのは小さな食べ物がほんの少し。もし、エリヤが伝えた神の言葉が実現しなかったとしても、彼女と彼女の家とに起きることにそれほど大きな違いは無い。

エリヤも彼女も、このままなら「あとは死ぬのを待つばかり」      だったら、

この人 エリヤは確信を持って言っている。「なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。

主が地の面に雨を降らせる日まで 壺の粉は尽きることなく 瓶の油はなくならない。」

ただ静かに終りに向かう運命に抵抗せずに従うのではなく、命がけでこの言葉に従ってみよう。

まず、神の言葉を信じてみよう。彼女は、エリヤの語る イスラエルの神 主に賭けた。

彼女は壺に残った粉と 瓶に残った油で、エリヤのために 小さいパン菓子をつくり、

それから自分たちの食べる物を作った。 その結果  確かに奇跡が起きたのです。

主なる神は、彼女に向けて 恵みの戸を開いて下さいました。

「こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。」

 きょうお読みいただいたヨハネによる福音書6章、群衆はイエスと弟子たちを懸命に探しました。彼らはどうしてもイエスと一緒に居たかったのです。きょうの箇所の少し前6章1-14節には、五千人の給食 と呼ばれるイエスの奇跡が書かれています。

イエスの話を聞くために集まった男の人だけ数えても五千人。女性や子供も居ましたから群衆

の人数は1万人超。イエスが彼らに、一人の少年が差し出したパン5つと (多分、干した保存食の) 魚二匹を配ったのです。その群衆の中にいた人たちが、イエスを探していました。

 「あなたがたがわたしを捜しているのは、…パンを食べて満腹したからだ。」

 彼らはイエスの話を楽しく聞いていましたが、イエスを神の子 救い主とし信じた人ばかりではありませんでした。

生きるために、食べ物のために必死、という点では、あのサレプタの女性と同じです。

でも、群衆は イエスを まるで毎日のパンのもと のように見ていました。

ほんの少しの食べ物でも、イエスが祈って配れば満腹できる。この人と一緒に居れば大丈夫。

彼らにイエスは言いました。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」 これを。「わたしを追いかけてばかりいないで、働け」とイエスが

言ったと思った彼らは、言葉を返しました。「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」 

イエスの答は「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

するとさらに、彼らは言いました「わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。」しるし とは、神の奇跡のこと。

「あなたが神のもとから遣わされた救い主だと言うのなら、信じられるように奇跡を行って下さい」 「あなたが神なら、証拠を見せて下さい」   神様に命令するとは、あなたたちは何者ですか。

自分を造り、命を与えた方に向って 条件を付けるとは 何者ですか。

彼らは あのサレプタの女性とは正反対です。彼女は、命がけで 行動しました。

  群衆が欲しがっていたのは、彼らの食物でした。それは一時、彼らを安心させます。でも、サレプタの女性の家にあった 1回分にも満たない粉や油と同じ。すぐに尽きて、無くなってしまうものです。

イエスは永遠の命に至るパンとしてご自身をお与えになった。私たちに永遠に続く命を与えて下さいました。 私たちが食べて:ご自身は十字架で死んで 身体も命も、私たちのために与える。それによって、

「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

パンを与えられても、それを食べなければ 意味がありません。

イエスが私たちに語り掛けるのは、 神がエリヤを通して あの女性に言われたと同じことです。

まず、信じてみよ。   そうすれば、「壺の粉は尽きることなく 瓶の油はなくならない。」

イエスは言った「わたしが命のパンである。」 

イエスによって与えられる命によって私たちは永遠へと導かれます。

信じて、命のパンであるイエスを 信じ 感謝して 受け取りましょう。神は恵みの戸を開いて下さいます。

イエスから与えられた新しい命によって、私たちの人生に、神の恵みは

尽きない 無くならないのです。

お祈りいたします。

ここから17章までイエスのメッセージ。