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「勝手か 真実か」

 

20240804 「勝手か 真実か」

士師記6章36-40節、ヨハネによる福音書7章14-24節         中村文子 

イエスが祭司でも律法学者でも、ファリサイ派の学者でも無いのに、聖書をよく知っていたので、人々は驚きました。その驚きに、イエスは「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。」と、答えました。そして、

「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」と、言われました。

栄光を求める、とは、「手柄をたてる」とか「成果をあげる」つまり、自分が褒められたくて

話すのか、自分以外の誰かが褒められ 尊敬されるように話すのか。

褒められるのは誰か、ということです。イエス様は神様が地上に遣わされた救い主。

イエス様を「お遣わしになった方」と言えば、神様です。

イエス様はここで、「話す」人について言われましたが、その前に、こうも言われました。

「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。」  驚くことは無い。あなたたちが神様と繋がっているなら、神様はあなたたちに 聞き分ける耳を下さっているはずですよと。

 この福音書の5章で、イエス様は神殿に近いベトザダの池で 38年間病気で苦しんでいた人を癒しました。彼はとても喜び感謝し、イエス様に言われたように、自分の床を担いで歩き出し…。するとユダヤ人は言いました。「今日は安息日だ。床を担ぐ労働は 律法で許されていない」

病が癒された奇跡よりも、自分たちの価値観が守られることの方が大事だったのです。

6章、イエス様はお話を聞きに集まった 男性だけでも5千人:全体で1万人?に、

少年が捧げた5つのパンと2匹の魚を配り、全員が満腹しました。彼らは感謝するよりも、

イエス様に自分たちの王様になってもらおう、と考えました。彼らはパンを求めて、

イエス様と弟子たちを湖の向こう側までも追いかけました。

 イエス様は彼らに「わたしは天から降って来たパンである」と話しました。イエス様の肉を食べ血を飲む者はイエス様と共に居り、イエス様を通して神様から命を頂く、と。

これは彼らの聞きたいお話ではありませんでした。多くの人がイエス様から離れて行きました。

こんなひどい話は聞いていられない!と思ったのです。

 イエス様はペトロたち12人に「あなたがたも離れて行きたいか」と聞かれました。ペトロは「主よ、…あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者…と、わたしたちは信じ、また知っています」と答えました。弟子たちは聞き分ける耳を与えられていたのです。

 士師記6章のギデオンはとても慎重でした。彼の時代、イスラエルは周辺の民族に攻め込まれ、畑の収穫も貯蔵していた農作物も次々略奪されていました。

神様の使いがギデオンを士師に選んだ時、彼は小麦の脱穀作業中でした。

脱穀は本来、麦打ち場で 牛などの家畜によって行います。脱穀の音は周囲にも響き、麦殻は舞い賑やかな作業。でもミディアン人に略奪され、ギデオンの家には家畜で脱穀するほど麦は残っていません。もし、脱穀の音を聞かれたら、また略奪されてしまう。ブドウの収穫時期ではないので、地面の酒舟は空。その深い穴なら、大人の男性でも隠れられます。

こっそり麦を打つギデオンに御使いは話しかけました。

「勇者よ、主はあなたと共におられます」

「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」と御使いは言いました。が、

「勇者」には程遠いギデオンは、本当にこの人は主の使いか?と疑っていました。

献げ物をするから待ってくれと願うギデオンの心を、御使いは知っていて、彼の前で献げ物を焼き尽くしました。この奇跡でギデオンは勇気づけられ、彼らは夜中に、彼の父の偶像の神バアル礼拝の祭壇を破壊しました。

ミディアン軍との戦いの前に、ギデオンはきょうの箇所の奇跡を願いました。

羊1匹分の羊毛。この土地で夜露は、いつも地面をしっとりと濡らしました。

そこに羊毛を置けば、毛も地面もぐっしょりと濡れてしまうはず。でも主は、ギデオンの願いのままに、最初の夜には 羊毛だけが濡れ、次の夜には、地面だけが濡れ そこに置いた羊毛は

全く乾燥している状態を造り出して下さいました。

 ギデオンは主の導きで300人のイスラエル人を選びました。でもミディアン人ら敵の諸民族は いなごのように数が多く、ギデオンは不安でした。主は彼に敵が夢を見て話し合う声を聞かせました。敵の夢解釈は、ギデオンの軍によって自分たちは滅ぼされる、というものでした。

ギデオンは、彼の陣営の300人に、「主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった」と力づけることができました。

 ギデオンは力強い士師ではありませんでした。主は彼を信仰によって強め、この戦いが真実 主なる神の御意思だと信じる力を与えて下さいました。彼は自然のすべては主の御手の中にあると信じ、約束通り主が「共におられる」と信じたのです。

「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を

求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」

自分の願い、自分の聞きたい話、自分の喜びを求めた人々は、イエス様から離れました。

律法を守る正しい自分を愛した人々は、律法の言葉でイエス様をも裁きました。

主の奇跡を喜び、感謝することができなかった。癒された人と喜びを分かち合い、空腹を満たして下さる神の愛を褒め称えることができなかったのです。

「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。」

御声を聞き分ける力を、ギデオンのように求め、御業を喜ぶ力を頂きましょう。

お祈りいたします。

ここから17章までイエスのメッセージ。